みなさんおはようございます。
今日は、ローマ12:1です。この御言葉は、私自身の人生の課題・目標であるとも言える箇所です。
多くの人々が、「どうやって多くのものを得るか?」と悪戦苦闘して生きています。けれども、聖書の神様の生き方は、「どれくらいささげることができるか?手放すことができるか?」というものです。
たとえば、私達が毎日いらいらすることにはどんなことがあるでしょうか?「自分は持っていないのに、あの人は持っている」「自分には出来なかったのに、あの人には出来ている」ということも含まれるでしょうか?
もしそうなら、私達は「自分には全く関係の無いこと」にイライラしていることになります。なぜなら、その人の人生と私の人生は、全く別のものですし、神様は別のご計画を持っておられるからです。
もし、そのような「こだわり」を捨てることが出来たら、そして祝福されている人を見て、心から喜ぶことが出来たら、どんなにすばらしいでしょう?!「でも、そんなことをしたからといって、私の状況が改善されるわけではない」と思われるかもしれません。
しかし、それは事実ではありません。神様は、そういう「ささげている」私達を喜んで下さり、豊かな祝福の中へと導いて下さるからです。
この箇所では、「こだわり」だけではなく、私達のからだすべてを神様にささげなさいと「命令」されています。そして、「神様がしてくださったことを思えば、これは、決してむりな注文ではないはずです」とあります。イエス様が、私達のためにすべてをささげてくださったことを思えば、私達が自分自身を神様にささげ、委ねることは合理的なことなのです。
今日、試しに一つのことをささげてみませんか?先ほどの「こだわり」でもいいですし「神様に時間をささげる」ことでもかまいません。一気にすべてを完全に・・などと考えないで、私達の人生はささげ続けることが続いていくと考えるのはどうでしょう?
今日、心の中のもやもやした部分が、「ささげる」ことを通して、秋晴れの真っ青な空のようになりますように。
祝福が豊かにありますように。
東京メトロチャーチ 林 幸司