2014年11月6日木曜日

20141106 今日の御言葉 箴言15:31-32


2014年11月6日

本日の聖句

ためになる批判をどんどん取り入れるのは利口な人です。 耳の痛いことを喜んで聞かないと、自分をだめにします。  神様を恐れ、謙そんに生きる人は知恵を身につけ、人からもほめられます。
箴言 15:31-32 JLB
みなさんこんにちは。

新改訳聖書では、
「15:31 いのちに至る叱責を聞く耳のある者は、知恵のある者の間に宿る。
15:32 訓戒を無視する者は自分のいのちをないがしろにする。叱責を聞き入れる者は思慮を得る。」

との言葉に訳されている箇所です。

「いのちに至る叱責」→「ためになる批判」、
「知恵のある者」→「利口な人」、
「訓戒」→「耳の痛いこと」、
「自分のいのちをないがしろにする」→「自分をだめにします」、
「叱責を受け入れる者」→「神様を恐れ、謙そんに生きる人」
という具合に比べてみると、「なるほどなあ」と納得しやすいのではないでしょうか?

私達は、他人を見て叱責したり批判したりしたくなることがあります。

「あなたのためだから」と本当に思っているなら良いのですが、そうでない時もあります。

一方で、本当に私達のためを思って、言いにくいことを言ってくれる人がいます。

そういう人に向かって「食ってかかって」ばかりいると、やがては誰も私達に本当の事を言ってくれなくなります。

まるで、「裸の王様」のようになってしまうのです。それが愚かであることは誰でもわかるのに、以外と自分のこととなると、わからなかったりします。

イエス様は、「人の目のちりを取らせて下さいと言っている、あなたの目から梁(丸太ん棒)が出ているではないか」と言われました。

私達を愛して、「ためになる批判」(いのちに至る叱責)をしてくれる人にも、それなりの覚悟がいるのです。そのことを理解するなら、謙遜になって、耳を傾けなければならないこともわかります。

「言われているうちが花」なんですよね・・・・

そういう信頼関係が構築されると、私達は周囲の人々の助言によって、どんどんと成熟し、賢くなっていくのです。

最近、ためになる批判をされたなら、自分が正しく応答できたか顧みましょう。

もしそうでなかったなら、熟考してその人に感謝を表し、アドバイスを受け入れるべきかもしれません。

身近な人の言うことほど、私達は受け入れにくいものだったりします。

愚かで高慢な人にならないで、賢く謙遜な人になりましょう。

そういう人は、「知恵を身につけ、人からも誉められる」のですから。

東京メトロチャーチ 林 幸司