2012年7月1日(日) No.853
主日礼拝 愛するというライフスタイルを選択する生き方
メッセージ:林 幸司 主管牧師
聖書箇所: Ⅰコリント13:1〜3、ガラテヤ5:19、ローマ5:5
Ⅰコリント13:1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
13:2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。
13:3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
I.愛することを というライフスタイルとは?(選択する)
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多くの人が「愛は、自然と沸き上がってくるもの」と思っている
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神様もイエス様も聖書自体も、愛とは決断であり選択であることを表している
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愛には感情が伴うが、感情から愛が生まれるわけではない
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私達自身の本質に従っていく時、「愛する生き方」は自然に出てくるわけではない
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「肉」と言われる私達の本質の性質は聖書に明らかにされている
ガラテヤ5:19 肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。
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愛するという選択、決断は、自然な流れに逆らうライフスタイル
II.愛する時に起こる (戦い)
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自分の心のおもむくままに生きれば、愛する生き方はできない
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「相手が私を憎んでいるのだから、愛する必要はない」
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「私に謝罪しないのだから、赦す必要はない」
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「私には関係のないことだ」
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「愛しても伝わらないのだから、やっても無駄だ」
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毎日の生活の一瞬一瞬に、「愛するか?」「やめておくか?」という選択が迫られる
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「相手を変えたい」「愛を分からせたい」という誘惑
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相手ではなく自分自身が変わる必要があることに気付く
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相手ではなく自分自身から始めること
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愛するという生き方←→自己中心
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他者中心であり、犠牲的、自己変革を伴う
III.愛することを選択する時その力が から注がれる(神様)
ローマ 5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
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愛することを選択し始めた途端に、私達は失望する
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私達の内側に真実な愛が無いことに気付くから
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イエス・キリストを信じて受けいれる時、神の霊である聖霊様が私達の内側に住んで下さる
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私達の内側に神の愛が注がれることを通して、その愛が溢れ出る