昨年11月から14ヶ月で聖書通読をしようと、試みてきました。二ヶ月のハンディをつけたということですが、そのハンディも使い切ってしまい、後がない状態です(笑)
今日は、その一例をお送りいたします。今日のあなたの一日が、神様の御言葉と愛によって潤される日となりますように。
今日の聖書箇所はイザヤ書43~45章、Ⅰペテロ4章です。
明日の聖書箇所はイザヤ書46~49章、Ⅰペテロ5章です。
【あなたは高価で貴い】
イザヤ書 43:4 JA1955
"あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、わたしはあなたを愛するがゆえに、あなたの代りに人を与え、あなたの命の代りに民を与える。http://bible.us/81/isa.43.4.ja1955
・新改訳聖書では、「あなたはわたしの目には、高価で貴い」と書かれている箇所です。
・恵美子師は、この御言葉によって神様に立ち返りました。
・私達が自分のことをどんなに卑下しても、自己憐憫に陥っても、神様の私達に対する愛は変わりません。
・神様が私達に対して言われていることばを信じるか、自分自身の感覚を信じるかを選択しなければならないと思います。神様のことばに信頼することが、「信仰」と言えます。
・あなたは、どちらを取るでしょうか?私達が自分の感覚や知識、経験などに頼って生きる時、その先には行き詰まりがあります。神様を信じるなら、新しく広い約束の地が待っています。
【百年以上前に存在を預言される神様】
イザヤ書 45:1-5 JA1955"わたしはわが受膏者クロスの右の手をとって、もろもろの国をその前に従わせ、もろもろの王の腰を解き、とびらをその前に開かせて、門を閉じさせない、と言われる主はその受膏者クロスにこう言われる、 「わたしはあなたの前に行って、もろもろの山を平らにし、青銅のとびらをこわし、鉄の貫の木を断ち切り、 あなたに、暗い所にある財宝と、ひそかな所に隠した宝物とを与えて、わたしは主、あなたの名を呼んだイスラエルの神であることをあなたに知らせよう。 わがしもべヤコブのために、わたしの選んだイスラエルのために、わたしはあなたの名を呼んだ。あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたに名を与えた。 わたしは主である。わたしのほかに神はない、ひとりもない。あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたを強くする。"
http://bible.us/81/isa.45.1.ja1955
・イザヤがこのことを書いているのは、ペルシャの王クロスが生まれる百年以上前です。
・つまり、影も形もない人物と国を、名前まで挙げて預言したということです。
・神様は、そのように私達のことも生まれる前からご存知であり、私達がイエス様と出会うように導いて下さいました。
・そしてすばらしい人生を歩むようにと、デザインしてくださったのです。
・そのデザインはどんなものでしょうか?それは他の誰とも違います。だから、他の人と比べても意味が無いのです。
・私達の人生を導かれる神様を信じましょう。
【陶器師である神様と陶器である私達】
イザヤ書 45:9-13 JA1955"陶器が陶器師と争うように、おのれを造った者と争う者はわざわいだ。粘土は陶器師にむかって『あなたは何を造るか』と言い、あるいは『あなたの造った物には手がない』と言うだろうか。 父にむかって『あなたは、なぜ子をもうけるのか』と言い、あるいは女にむかって『あなたは、なぜ産みの苦しみをするのか』と言う者はわざわいだ」。 イスラエルの聖者、イスラエルを造られた主はこう言われる、「あなたがたは、わが子らについてわたしに問い、またわが手のわざについてわたしに命ずるのか。 わたしは地を造って、その上に人を創造した。わたしは手をもって天をのべ、その万軍を指揮した。 わたしは義をもってクロスを起した。わたしは彼のすべての道をまっすぐにしよう。彼はわが町を建て、わが捕囚を価のためでなく、また報いのためでもなく解き放つ」と万軍の主は言われる。"
http://bible.us/81/isa.45.10.ja1955
・神様は、私達を創造された陶器師ですから、私達を御心のままに形づくって下さいます。
・私達は「なぜですか?」と文句をつけることはできません。神様は「これは最高の作品だ」と言われて、私達はこの世に生まれてきました。「もう少しここが、あそこが・・・」と私達は自分にはないものを願いますが、神様は「それでいいんだよ。最高だよ!」と誉めて下さいます。
・そのことを信じましょう。
【互いに愛し合いましょう】
ペテロの第一の手紙 4:8-10 JA1955"何よりもまず、互の愛を熱く保ちなさい。愛は多くの罪をおおうものである。 不平を言わずに、互にもてなし合いなさい。 あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。"
http://bible.us/81/1pe.4.10.ja1955
・互いの愛を熱く保つ・・・というのは、とても困難な時があります。なぜなら、私達は誰もが罪人であり、ある時には愛する事が出来ても、次の瞬間「嫌い!」と思ってしまうからです。
・嫌いになるのは、自分自身の中にある罪と、相手の罪がぶつかるからかもしれません。
・そして、私達は一度嫌いになった人を愛することに抵抗を覚えます。
・ペテロは、愛は多くの罪をおおうものであると言っています。そして、次の瞬間「賜物」について触れています。それを互いのために役立てるべきだと。
・賜物が違うということは、相手が理解しにくいということです。でも、その違いがお互いを助けるのだとすれば、「なんで違うの?」と攻めるのではなく、「私にないものを持ってくれていて、ありがとう」と認め合うことはできないでしょうか?
・今日、お互いに愛することにチャレンジしましょう。
東京メトロチャーチ 林 幸司