2013年8月24日土曜日

8/23(金) 14ヶ月聖書通読222日目 エレミヤ書7~9章、ヨハネ福音書13章

今日の聖書箇所はエレミヤ書7~9章、ヨハネ福音書13章です。
明日の聖書箇所はエレミヤ書10~12章、ヨハネ福音書14章です。

【神様の声に聞き従わない人々】
エレミヤ書 7:25-28 "あなたがたの先祖がエジプトの地を出た日から今日まで、わたしはわたしのしもべである預言者たちを日々彼らにつかわした。 しかし彼らはわたしに聞かず、耳を傾けないで強情になり、先祖たちにもまさって悪を行った。 たといあなたが彼らにこのすべての言葉を語っても彼らは聞かない。また彼らを呼んでもあなたに答えない。 それゆえ、あなたはこう彼らに言わなければならない、『これはその神、主の声に聞き従わず、その戒めを受けいれなかった国民である。真実はうせ、彼らの口から絶えた。"http://bible.com/81/jer.7.25.ja1955
・イスラエル・ユダの人々は、出エジプトの時からずっと神様の声に聞き従わなかったと言われてしまいます。
・その原因の中心は、「強情」だったことがわかります。「神様よりも自分が正しい」と信じる生き方が「強情」なのだと言えます。
・それが神様から見た「強情な生き方」だとすれば、私達も日常生活の中で普通に「強情な生き方」をしているのではないでしょうか?
・神様が、私達にすばらしい導きを与えて下さり、周囲の様々な人々や聖書の御言葉、出来事を通して語っておられるのに、「私の考え、感覚の方が正しい」と判断し選択するのは、「強情」ということはできないでしょうか?
・強情な生き方の先にあるのは、それを分からせようとしてくださる神様が用意される試練であるかもしれません。一日も早く、私達は強情な生き方から離れたいと思います。

【弟子たちを最後まで愛し通されたイエス様】
ヨハネによる福音書 13:1-5 "過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。 夕食のとき、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていたが、 イエスは、父がすべてのものを自分の手にお与えになったこと、また、自分は神から出てきて、神にかえろうとしていることを思い、 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、 それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、
腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。"http://bible.com/81/jhn.13.1.ja1955
ヨハネによる福音書 13:12-17 "こうして彼らの足を洗ってから、上着をつけ、ふたたび席にもどって、彼らに言われた、「わたしがあなたがたにしたことがわかるか。 あなたがたはわたしを教師、また主と呼んでいる。そう言うのは正しい。わたしはそのとおりである。 しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである。 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ。 よくよくあなたがたに言っておく。僕はその主人にまさるものではなく、つかわされた者はつかわした者にまさるものではない。 もしこれらのことがわかっていて、それを行うなら、あなたがたはさいわいである。"http://bible.com/81/jhn.13.12.ja1955
・イエス様は、弟子たちを「最後まで愛し通された」とあります。愛し始めるのは比較的容易なのですが、「愛し通す」のは簡単ではありません。そのことを表すために、イエス様は普通は奴隷が行う行為である「足を洗う」ということをなさいました。
・それは決してパフォーマンスでできることではありません。イエス様は、弟子たちのしもべとなり、彼らもそのようになるようにと、模範を示されたとあります。
・誰が偉いか?といつも争っていた弟子たちが、互いに足を洗うよう、お互いが仕え合うよう、愛し合うようにと、手本を示されました。

【新しい戒め】
ヨハネによる福音書 13:34, 35 "わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。 互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」。"http://bible.com/81/jhn.13.34.ja1955
・イエス様は、旧約聖書の律法に勝る、新しい戒めを与えられました。それは、イエス様が私達を愛されたように(たとえば、足を洗われたように)私達も互いに愛し合うことです。
・今日の私達にとって、愛し合うとは何をすることに当たるでしょうか?主に仕え、人々に仕える時、神様の栄光が表されていくということを信じます。

【ペテロの裏切りについての預言】
ヨハネによる福音書 13:37, 38 "ペテロはイエスに言った、「主よ、なぜ、今あなたについて行くことができないのですか。あなたのためには、命も捨てます」。 イエスは答えられた、「わたしのために命を捨てると言うのか。よくよくあなたに言っておく。鶏が鳴く前に、あなたはわたしを三度知らないと言うであろう」。"http://bible.com/81/jhn.13.37.ja1955
・ペテロは、心の底からイエス様についていきたかったのですが、そこに人間的な限界がありました。その夜、彼はイエス様のお言葉の通りに、三度イエス様を否定するのです。
・私達も、人間的にイエス様についていくことはできません。丁度、種蒔きのたとえで、初めは喜んで受け入れるが「根がないために」枯れてしまう種のようになります。
・けれども、忍耐深く聖霊様によって耕されることを受け入れる人は、「良い地」となって豊かな実を結ぶことができるようになります。
・そのためには、一度イエス様につまずいたり、周囲のクリスチャンに失望するかもしれません。けれども、イエス様は回復されることを待っておられます。丁度、復活の後でガリラヤ湖に行かれて、ペテロたちを待っておられたように・・・

今日もイエス様から目を離さないでいきたいと思います。

日曜日は礼拝です。先週はみなさんにお会いできませんでしたが、明日お会いできることを楽しみにしております。

東京メトロチャーチ 林 幸司