2014年11月7日
本日の聖句
“ その真理とは、こうです。 神と人間とは、それぞれ別の岸に立っています。 そして、人となられたキリスト・イエスがその間に立ち、ご自分のいのちを、全人類のために差し出すことによって、両者の橋渡しをされたのです。 これこそ、神様が時にかなって私たちに示された教えにほかなりません。 この真理を外国人に教え、救いは信仰によって与えられるという、神様の計画を伝えるために、私は宣教者また使徒として選ばれました。 これは、うそ偽りのない真実です。 そこで勧めます。 男は、罪を犯したり、怒ったり、恨みをいだいたりせずに、どこででも、きよい手を上げて祈りなさい。 同じように、女も、控え目な服装や態度で、品位を保つように心がけなさい。 クリスチャンの女性は、はでなヘアスタイルや宝石や高価な着物によって人の注意を引こうとはせず、良い行ないとやさしく親切なふるまいによって身を飾りなさい。 女は、物静かに、謙そんな心で教えを聞き、また学ぶべきです。
テモテヘの第一の手紙 2:5-6 JLB
2:5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。
2:6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。というのが新改訳です。また10節までも含まれているようです。
2:7 そのあかしのために、私は宣伝者また使徒に任じられ‐‐私は真実を言っており、うそは言いません‐‐信仰と真理を異邦人に教える教師とされました。
2:8 ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。
2:9 同じように女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、
2:10 むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行いを自分の飾りとしなさい。最初の部分を見ると、ある図を思い出します。それは、私達の教会でよく用いている「橋の図」です。
私達と神様との間には、深い溝があり、行いや哲学、宗教や努力では超えることが出来ません。
けれども、イエス・キリストが十字架にかかり、私達の為に死んで下さったことにより、そこに道が備えられ、私達を愛してやまない天の父なる神様につながることができるようになります。
そのために必要なことは、ただ一つ。イエス・キリストを救い主として信じることです・・・というものです。
「イエス・キリストは、ご自分のいのちを、全人類のために差し出すことによって、両者の橋渡しをされたのです」というのが、その内容です。
そして、この手紙を書いているパウロは、その宣教者、使徒として選ばれました。これは、彼が自分の人生の目的と使命をはっきりと確信していたことを表しています。
次は現代社会では問題になる箇所でしょう。男女差別のように思われるからです。けれども、これは男女の役割の差、性質の差ということも言えるのではないかと思います。
男性は、家庭を持っているとは限りませんが、ここでは家庭のリーダーとして、怒らず、恨みをいだかずに、手を挙げて祈るよう教えています。
もし、夫であり父である人がそのようであれば、妻も子供も安心することでしょう。
女性には、品位と親切で優しいふるまい、謙遜な心が求められています。
当時の女性には、特に学ぶチャンスが男性よりも少なかったという背景もあるかもしれません。(現代でもその傾向はありますが)
ここでパウロが言いたかったのは、男女差別ではなく、救いを受け入れ、キリストの証人としてすばらしい歩みをするための秘訣だと言えると思います。
今日の、みなさんの歩みの上に、それぞれの立場に応じた役割が、主から教えられ、「あなたらしい」生き方が与えられますように。
東京メトロチャーチ 林 幸司