2010年8月11日水曜日

回復の喜び#75レッスン16 償い1-2

みなさんおはようございます。
今日からいよいよ立東フェスティバルです。天候も守られているようで感謝です。
どうぞ今晩もおつどいください。また多くのご奉仕の方々に感謝いたします。
今日から、森下神学生が東京メトロチャーチに来られます。本当に感謝です。

【本日の聖書通読箇所】
一年コース ◆ 詩篇72-73◆ ローマ9:1-15
三年コース Iサムエル16、ヤコブ3

【デイリーブレッド】

http://rbcjp.info/blog/2010/08/07/


今日の学びは、償いについてです。人を赦すということは、とても難しいことだと思います。

多くの場合、その人を赦さないことで、その人に復讐していると人々は信じています。
しかし実際には、相手にとって私達が赦さないことで、その人を避けたり、意地悪な態度や無視などの態度を取ったとしても、その人に取ってはそんなに大きな被害を及ぼしていないのです。
一番大きな被害は、私達自身が被っています。なぜなら、いつもその人のことを考え、気にして、姿を見ると苦々しく思ったり、避けたりすることで、自由を奪われているからです。
それだけではなく、私達の魂(心)と霊をむしばんでいます。また体にも影響があることが分かっています。

赦せなかった人を赦す事で、死の病から解放された人々は数えきれません。

私達は、そんな状態から自分自身の決断によって抜け出さなければなりません。
「あの人が謝って来るなら・・・あの人こそ私に償わなければならない・・・」とあなたが考えるのは、合理的なことだと思います。

でも、実際にはその人はその必要を感じていないばかりか、そんなにあなたが傷ついたことも知らなかったりするのです。
「そんなこと、余計赦せない・・・」そうです。残念ながらそれが現実なのです。

ですから、相手の態度を待っていたら、永遠に赦しや和解、償いを行うことはできないでしょう。
今日、決心して、私達の手に固く固く握っている「赦さない思い、態度」を手放しましょう。
神様でさえ、私達を裁かれないとするなら、どうして私達が人々を裁くことができるのでしょうか?
私達が赦された事を思い出して、赦す態度へと一歩踏み出しましょう。
今日もすばらしい一日となりますように。

【回復の喜び レッスン16 償い1-2】
考えてみましょう
償い(AMENDS)をするということは、他の人々および神から孤立している状況に終止符を打ち始めることです。どのように始めるのかを見ていきましょう。

●傷や痛みを認める(Admit the hurt and the harm)
他の人の間違った行為によって受けた傷を正直に認め、自分のうちにある憤りをもう一度認めることから始めます。さらに、他の人たちに対して自分が犯してしまった過ちにも、改めて向き合う必要があります。憤りにしがみついていると、あなたの回復が妨げられるばかりでなく、神の赦しをも体験することができなくなってしまうのです。
「人をさばいてはいけません。そうすれば、神様もあなたをさばきません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も神様から罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も神様から赦していただけるのです。」

(ジョン・ベーカー著「回復の喜び」より抜粋)