2014年1月24日金曜日

1月19日メッセージ中の「ジャストフィット」について

1月19日(日)のメッセージに対するご質問をいただきました。ご本人の許可を得て、ご質問と私なりのお答えを掲載いたします。

【質問】
日曜日の先生のメッセージ勇気をいただきました。

ただ、同時に自分のジャストフィットって?という疑問が出てきます。

過去を振り返ると私は大抵過小評価をしすぎる傾向がある様です。

自分で歯がゆい思いを何度も経験しました。

神様にお聞きしたいのですか、未だ聞こえて来ません。

祈り方が悪いのか?と思ってみます。

何か私に出来る事が有りますか?


【答え】
過小評価してしまう思い、私にも覚えがあります。
せっかく、目の前にステップアップのチャンスや、チャレンジが来たのに、自分には、到底出来そうにないと思って、手を挙げなかったために、チャンスを逃してしまうということもありました。

 十字架の後のペテロも同じ思いで隠れていたのかもしれません。
彼を立ち直らせ、立ち上がるだけではなく強い力を与えたのは、聖霊であることはわかっているのですが、「私はそれほど信仰深くないし、祈りも足りない」と誰もが思うことではないかと思います。

 ジャストフィットという自分のあり様は、やはり、神様から来るものです。
過小評価も過大評価も、実は同じもので、表裏一体なのだと思います。
「自分は、本当はこうあるべきなのに、そこに到達していない」という焦燥感みたいなものを感じていたりすると、それとのギャップを埋めようとして、どちらかの思いになることがあるのかもしれません。
ペテロも、「私はイエス様の一番弟子だったのに」と思えば思うほど、恐れがやってきたのではないでしょうか?

 さて、そこでどうするか?
最近私が思わされるのは、「こうあるべきだ、というのは、本当だろうか?」ということです。
それは、親や同僚や家族や社会や自分自身が期待しているものであるかもしれませんが、神様の思いだろうか?と考えるとき、ホッとするというか、これでいいんだという原点に戻されます。
天才バカボンみたいに、「これでいいのだ!」と開き直る時に、初めてジャストフィットのスタートラインに立てたように思います。
そうすると、真っ白なスケッチブックに描き始めるように、神様は働きやすくなるのです。

 こだわりが支配している心には、神様の声は届きにくいのです。それは、信仰が足りないからではなく、雑音が多いからです。
祈るとすれば、ジャストフィットをお願いする前に、心をリセットしていただくようにお願いするのはどうでしょう?
そのためには、「神様、あなたは私を愛して、すばらしい人生へと導いてくださいますよね?!」という思いで主の前に立たなければならないでしょう。
そのためには、本気で自分自身のこだわりを、ささげるというか、良い意味で諦めることが前提となります。

 イエス様が、「ささげる時に、それを得る」というのは、そういうことだと思います。
主は、私達が求めてきた以上に良い道へと導かれます。
ある日、私達は、過小評価したり、自分を大きく見せようとしたりするよりも、はるかに楽に、リラックスして、社会の比較の中から抜け出して、自由な翼をかって飛んでいる人生を送っていることに気付くことでしょう。

ジャストフィットなご自分を見つけるために、少しでも助けになると良いのですが。

私自身も発展途上であり、神様が成熟へと導かれている一人として、ご一緒に主に求めて参りたいと思います。

2014年1月19日(日)礼拝 結いの心-3 力量にふさわしく働く力」


主管牧師  林 幸司
 
聖書箇所:エペソ4:16、1:4
エペソ 4:16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。

I. イエス様の力量は どれほどのものか 
ルカ 4:13 誘惑の手を尽くしたあとで、悪魔はしばらくの間イエスから離れた。
マタイ22:46 それで、だれもイエスに一言も答えることができなかった。また、その日以来、もはやだれも、イエスにあえて質問をする者はなかった。
1コリント 15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
 ・イエス・キリストは、ご自身の「力量」をいつも試されていた
  ・悪魔、宗教家、人間関係、孤独、死、すべての戦いに勝利された
  ・イエス様に、「赦す事が出来ない罪」は無かった

II. 私達は   自分自身や他の人   の力量を理解しているだろうか?
マタイ20:22 けれども、イエスは答えて言われた。「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」彼らは「できます」と言った。
・「身の程知らず」も「過小評価」も力量を理解していない証拠
   ・人には、「ジャスト・サイズの服」が必要
    ・自分を大きく見せようとしていると、「メッキがはがれて」失敗する
    ・過小評価して尻込みしていると、チャンスを逃す
    ・相手の力量を知らないで、それに合わない依頼をすると、相手が倒れたり、関係が壊れたり、損害をこうむったりする
    ・私達が違いに真実に、正直になることが出来れば、「現時点での力量」を認め合い、励まし合うなら、強い信頼関係を構築できる
    ・お互いを慈しみ、愛し合い、建て上げることができる

III. 力量を認めることは 愛すること 
22:31 シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
22:32 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
    ・イエス様ご自身は、私達の力量をご存知の上で、私達を赦し、信頼し、大切な使命を委ねて下さった
    ・私達が成長していくために、障害物となっていたものを、すべて取り去ってくださった
    ・今も私達のために、大祭司として祈って下さっている

 互いに力量を認め合って、ふさわしく働く力と、結び目によってキリストのからだを建て上げてまいりましょう

2014年1月23日木曜日

2014年1月12日(日)礼拝 結いの心-2

メッセージ:主管牧師  林 幸司
【本日のメッセージ】 

聖書箇所:エペソ4:16、1:4

エペソ 4:16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がそ

の力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目

によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛の

うちに建てられるのです。

  1. I. キリストご自身   が神様と私達との結び目

キリスト以前(B.C.)の時代も様々な形で、結び目を持たれた

イエス・キリストの十字架の死によって、創造主である神様との

 関係が修復された

復活によって、死に勝利し、同じ勝利の中に私達は入れられた

天に昇り、神の右に座られ、天の父と私達との間に立つ大祭司と

 して、とりなし、祈っていてくださる

神様のご計画を成し遂げられない私達のために、助け手、慰め手

 としての聖霊を送ってくださり、共に住む(内住)ようにされた

  1. II.日常生活でどのようにして     結び目   を見つけるか?

エペソ1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼に

あって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。

日常生活で、結び目であるキリストが働かれているのを、どのよ

 うにしたら見つけられるだろうか?

「私の人生の一部(日曜日、教会生活やセル)には神様が働いて

 いるが、その他の分野では自分で生きていく」という価値観もあ

 る

すべてのことは「自分の努力」「偶然」「運の善し悪し」「人々

 の扱いの善し悪し」などによって動いていると考えてしまう

大切なのは、「私達の住むすべての世界は、神様の支配と導きの

 中にある」と信じるという価値観

神様は、私達を世界の基の置かれる前から選んでくださっていた

 とすれば、私達の人生全体を導いてくださっている

日常生活のあらゆる場面で、イエス様が働かれていることを見つ

 けよう!

  1. III.私達の側から結び目を 強くする   

キリストによって天の父なる神様につながっている時、それは双

 方向からのつながり

結び目がゆるければ、神様とのつながりの価値を知らないまま、

 簡単に離れてしまう

どうすれば、結び目を強くすることができるだろうか?

祈り、聖書を読むこと、静かに神様との時間を過ごすことによっ

 て。

キリストのからだである一人一人を支え、励まし、とりなすこと

 によって

日々の生活の中にキリストが働かれていることを見つけ、互いに

 証することによって

結び目が強くなれば、神様からの祝福と恵みが、私達と周囲に流

 れていく
 

2013年12月15日(日)第三アドベント礼拝

メッセージ:主管牧師  林 幸司
【本日のメッセージ】 
聖書箇所:ルカ1:26〜38、ヨハネ15:16〜17
ルカ1:28 御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。1:29 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
 
I.  恵み によって選ばれる
ルカ1:30 すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです1:31 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。」
神様がイエス・キリストを産む女性としてマリヤを選ばれたのは、一方的な恵みによるものだった
彼女に資格があるとすれば、ダビデの家系のヨセフと結婚することだけだった
主は、ともにいてくださることによって、恐れから解放してくださることを約束された
「恵み」とは、それを受ける資格が無いのに、一方的に施される祝福のこと
私達も、恵みによって救われ、神様と共に人生を歩むようにされた
 
II.  使命 のために 代価 を払う
ルカ1:34 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」
1:35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
1:38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
マリヤは、全く理解出来ない選びを忠実に受け入れた
マリヤの使命は、神の子を出産して育てること
そのために、彼女は多くの代価を払わなければならなかった
社会からの誤解、中傷、死の危険、ヨセフに理解してもらうこと、妊娠出産という未経験の領域
マリヤは、それらの代価を払って使命を全うした
そのために、マリヤの一生の間、神様は共にいてくださった
 
III. 私達も   恵み によって選ばれている
ヨハネ15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。15:17 あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。
私達がイエス・キリストによって救われるのは、「恵み」による
神様からの一方的な選びによるもの
選びの目的は「実を結び、実が残るため」(使命を行うため)
資質があるから選ばれるのではなく、選ばれるから資質が備わる
私達は選ばれたことを、どれだけ真剣に受け止めるかによって、その結果も変わってくる
マリヤのように、最後まで使命を全うする人として生きていきたい

2013年12月1日(日)第一アドベント礼拝メッセージ 「未知の世界に踏み出す」

メッセージ:主管牧師  林 幸司

【本日のメッセージ】 聖書箇所:マタイ1:18-25
マタイ1:20 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
1:21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」

I. 未来に踏み出す最大の障害物は 恐れ 
マタイ1:18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
1:19 夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた
・私達の人生には恐れがやってくる
・不確定なことを選択しなければならない恐れ
・経験が無いことで、だまされてしまうのではないかという恐れ
・ヨセフが恐れたものとは何か?
・社会的に犯罪者扱いを受けること
・周囲の人々から疎外されること
・その町に居られなくなる可能性・・・
・結婚生活への不安
・この子をどのように育てたら良いのか?
・彼の恐れを取り除いたものは何か?
・夢に現れた主の使いが、「主からの言葉」を与えてくれた

II. 神様が用意したご計画を 迎え入れる 
・マリヤを妻として迎えるということは、神様が用意したご計画を迎え入れるということ
・自分自身で描いたシナリオではなく、神様の計画を優先すること
・彼は、喜んでマリヤを、ご計画を歓迎したのだろうか?
・彼は、嫌々それに従ったのだろうか?
・いずれにしても、ヨセフはマリヤを迎え入れる決心をした
大切な神の御子を宿す女性として
・一生守っていく妻として
・他にこの地上で迎え入れる人がいない、孤独な女性として

III. 聞くだけではなく  実行する 
マタイ1:24 ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、1:25 そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。
・信じているだけでは不十分
・神様の促しや励ましに応答する必要がある
・私達には未来は見えないので、「保障」となるものが欲しい
・神様を信じて行動するという信仰は、「賭け」である
・一方で、神無しの人生も「賭け」であることに変わりはない
・神様に人生の大切な決断を委ねても良いのか?
・神様のご計画に従っても大丈夫なのか?
・それらの疑問に向き合って、自分自身で決断することが大切
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2013年12月8日(日)第二アドベント礼拝

メッセージ:主管牧師  林 幸司
【本日のメッセージ】 
聖書箇所:ヨハネ5:39、使徒17:11、ヨハネ12:47
ヨハネ 5:39 あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。

I. 『自分で考える』習慣を身につける
使徒17:11 ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。
l  認知のゆがみ
l  「全か無か思考」「善悪で決めつける」
l  実際の社会はそのように出来ていない
l  「良い人」と言われる人が不正をしたり、「悪い人」と言われる人が人を助けたりすることがある
l  「考え方の一つのパターン」から抜け出して、「自分で考える」習慣を身につけたい
l  そうでないと、「他人の考え」によって生かされてしまうことになる
l  ひいては、「私の人生はあの人、環境、時代、学歴、家庭、のせいだ!」という被害者としての人生を歩むことになる
l  イエス・キリストの時代にもそのような考えの偏りがあった
l  宗教家は、「これが神様だ」「これが信仰だ」と言って、民衆に教えていた
l  イエス様は「それは本当か?」という疑問を提示した

II. 「安心」「成功」 はどこにありますか?
l  誰もが「安心」や「成功」を得たいと願っている
l  〜〜があれば・・・経歴を持っていれば・・・良い環境にあれば・・・なのに、人生は不公平なことばかりだ!
l  社会一般に言われている価値観が、本当に正しいのだろうか?
l  私達が「社会」というものは、どれくらいの広さを持っているか?
l  狭い社会、視野での基準は、そこでしか通じない「神話」かもしれない
l  人と比べて「あの人よりは幸せ、不幸」という生き方は、あまりにも弱い土台の上に人生を建てていること
l  簡単に「良いか」「悪いか」という判断をしてはいけない

III. 大丈夫です!
ヨハネ 12:47 だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません。わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。
l  私達は善良な人々だろうか?
l  私達の教会、家族、セルは良い人々だろうか?
l  それは、一つの基準によっては測ることが出来ないこと
l  「私はだめだ」と思う時、自問してみましょう・・・
l  「それは本当?」「なぜそう思うの?」
l  すべての言葉を「二行」で説明しましょう
l  成功とは?失敗とは?だめとは?良いとは?人生の目的とは?
l  私達の普段なにげなく使っている言葉の中に、「思い込み」のトリックがある

2014年1月11日土曜日

あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。

愛香と賛美は、アメリカ、テキサス州ダラスにありますクライスト・フォー・ザ・ネーションズに留学中です。1月2日に次女の賛美が渡米しました。現在は、家に二人きりとなった生活ですが、「空の巣症候群」にならないようにがんばりたいと思います。(笑)

今年もよろしくお願いいたします。