2014年1月23日木曜日

2013年12月8日(日)第二アドベント礼拝

メッセージ:主管牧師  林 幸司
【本日のメッセージ】 
聖書箇所:ヨハネ5:39、使徒17:11、ヨハネ12:47
ヨハネ 5:39 あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。

I. 『自分で考える』習慣を身につける
使徒17:11 ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。
l  認知のゆがみ
l  「全か無か思考」「善悪で決めつける」
l  実際の社会はそのように出来ていない
l  「良い人」と言われる人が不正をしたり、「悪い人」と言われる人が人を助けたりすることがある
l  「考え方の一つのパターン」から抜け出して、「自分で考える」習慣を身につけたい
l  そうでないと、「他人の考え」によって生かされてしまうことになる
l  ひいては、「私の人生はあの人、環境、時代、学歴、家庭、のせいだ!」という被害者としての人生を歩むことになる
l  イエス・キリストの時代にもそのような考えの偏りがあった
l  宗教家は、「これが神様だ」「これが信仰だ」と言って、民衆に教えていた
l  イエス様は「それは本当か?」という疑問を提示した

II. 「安心」「成功」 はどこにありますか?
l  誰もが「安心」や「成功」を得たいと願っている
l  〜〜があれば・・・経歴を持っていれば・・・良い環境にあれば・・・なのに、人生は不公平なことばかりだ!
l  社会一般に言われている価値観が、本当に正しいのだろうか?
l  私達が「社会」というものは、どれくらいの広さを持っているか?
l  狭い社会、視野での基準は、そこでしか通じない「神話」かもしれない
l  人と比べて「あの人よりは幸せ、不幸」という生き方は、あまりにも弱い土台の上に人生を建てていること
l  簡単に「良いか」「悪いか」という判断をしてはいけない

III. 大丈夫です!
ヨハネ 12:47 だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません。わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。
l  私達は善良な人々だろうか?
l  私達の教会、家族、セルは良い人々だろうか?
l  それは、一つの基準によっては測ることが出来ないこと
l  「私はだめだ」と思う時、自問してみましょう・・・
l  「それは本当?」「なぜそう思うの?」
l  すべての言葉を「二行」で説明しましょう
l  成功とは?失敗とは?だめとは?良いとは?人生の目的とは?
l  私達の普段なにげなく使っている言葉の中に、「思い込み」のトリックがある