2016年3月23日水曜日

本日の聖句 - マタイによる福音書 20:28







2016年3月23日
本日の聖句
メシヤ(救い主)のわたしでさえ、人々に仕えられるためではなく、みんなに仕えるためにこの世に来たのです。 そればかりか、多くの人の罪の代償として自分のいのちを与えるために来たのです。 だからあなたがたも、わたしを見ならいなさい。」 
マタイによる福音書 20:28 JLB


みなさんおはようございます。

今週は、イエス様が十字架にかかられた受難週です。

【メシヤ(救い主)のわたしでさえ、人々に仕えられるためではなく、みんなに仕えるためにこの世に来たのです。】
多くの人々が、他の人々から仕えてもらうような地位につきたいと願います。
しかし、イエス様ご自身が仕えられるためではなく、仕えるために来られました。

【そればかりか、多くの人の罪の代償として自分のいのちを与えるために来たのです。】
それが最も現れたのが、十字架なのです。
イエス様は、すべての人々のために、最も低い立場で仕えられ、いのちを捨てられるほど愛されたのです。
つまり、「仕える」ということは、「愛する」ということがもとになっているのです。

【だからあなたがたも、わたしを見ならいなさい。】
仕えるという態度だけを見習うのではなく、まず心の態度を見習うことが大切なのです。
それは、人々を愛するからこそ仕えることを意味しています。

明日は聖餐式が行われた木曜日です。イエス様と弟子たちの十字架前の最後の晩餐です。
そのことを覚えつつ、主と深い交わりを持ちましょう。

2016年3月21日月曜日

親指シフトキーボードのこと1

少し、備忘録的に牧師とは関係のないいろんなことを書いてみようと思います。
今日は、「親指シフトキーボード」について。

就職した1983年の年か、その次の年に、私が勤めていた某製粉会社の企画室に「ワープロ」が導入されました。
それは、OASYS100という機種で、当時100万円以上していたと思います。
室長の至上命令で、「出来るだけ早くこれを使いこなせるようになれ!」と私ともう一人の企画室員が学ぶことになりました。

富士通からインストラクターが来られて、毎日の猛特訓が始まりました。このワープロが私の「親指シフター」としてのスタートとなりました。

親指シフトキーボードは、日本語のためだけに作られた配列で、一つのキーに二つの日本語が配列されます。そして左右の「親指シフト」と一緒に打鍵することにより、効率的に日本語が打てるようにしたものです。

たとえば、多くの人々が使っているローマ字入力だと、「ば」と打つのには、bとaの二つのキーを別々に打鍵します。つまり2ストロークです。
けれども、親指シフトでは、右親指シフトと左人差し指で「は」を同時に打鍵する1ストロークとなります。
また、「しゃ」の場合は、ローマ字入力ではsyaと3ストロークですが、親指シフトでは左手薬指で「し」と左親指シフトと人差し指で「ゃ」の2ストロークとなります。

理論的には、ローマ字入力に比べ2倍近い早さで打てることになります。

このキーボードはとても優れていたので、とても重宝しました。
周囲にも親指シフトを勧めました。
しかし、時代の流れでどんどんと消え去って行ってしまい、今では化石のようになっているのかもしれません。

私はそれからWindows3.1→95などと、PC路線でしたが、その間もデスクトップの時には、富士通の親指シフトキーボードを購入して使用したり、「親指ひゅん」や「Japanist」というソフトを入れて、キーボードをソフト的に変えてしまうようにして使ってきました。

Macに変えてからも、親指シフトを使い続けていますが、OSの更新の度に苦労してきました。今使用しているのでは、Karabinerというソフトです。

一見、普通のキーボードなのですが、他の人が触ると全く違う文字が出てくるので、驚かれています。

最近、Facebookで親指シフターのグループページがあることを知り、加入しました。今までよりも多くの情報が得られて感謝しています。

https://www.facebook.com/groups/oyayubishift/


本日の聖句 - ヨハネによる福音書 12:13 棕櫚の聖日

「それ、イエス様をお迎えしろ」と、手に手にしゅろの枝を振りかざして駆けつけます。 沿道はたちまち人の波、波、波……。 あちこちで大歓声が上がります。 「救い主様ーっ! イスラエルの王様ばんざーいっ! 神の大使ばんざーいっ!」 
ヨハネによる福音書 12:13 JLB


みなさん、おはようございます。
今日は、棕櫚(しゅろ)の聖日です。今日から受難集(イエス様が十字架にかかられる週)になります。
イエス様は、人々に王としてエルサレムに迎えられます。
預言通り、ロバの子に乗って入城されました。
その時起こったことが、今日の御言葉です。
「イスラエルの王ばんざーいっ!」というのは「ホザナ」という言葉の訳です。
人々は、しゅろの枝を振りかざして、歓迎しました。
そして、その中の多くの人々が木曜日には、イエス様のことを「十字架にかけろ!」と叫ぶのです。

人々の評判や評価というのは、移ろいやすいものです。今日、認められていても、明日否定されることは良くあることです。
もし、私達が人々の評価や評判に人生の土台を置いているなら、嵐がやってきた時にすべてを失うばかりか、それに殺されてしまうでしょう。
イエス様はそんなことはなさいませんでした。天の父から与えられた使命(十字架による人類の救済)に向かって、まっすぐに進まれたのでした。
パウロも、「好評を博しても、そうでなくても」と態度を変えませんでした。

今日、私達は神様に「ホザナ!」と礼拝したいと思います。そして、そのイエス様の生き方に従っていきたいと思います。


みなさんと礼拝でお会いすることを楽しみにしております。