2020年7月25日土曜日
2020年4月19日 私達に歩み寄ってくださるイエス様
2020年4月19日(日) No. 1249
礼拝メッセージ 私達に歩み寄ってくださるイエス様
メッセージ:林 幸司 主管牧師
聖書箇所:ヨハネ20:24-29
ヨハネ20:24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。
Ⅰ.トマスの被害者意識
ヨハネ20:25 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と言った。
l トマスは、自分がいない時に、イエス様が現れたことについて不満だった
l 自分は避けられているのではないか?と思ったのかもしれない
l 赦されていないと感じたのかもしれない
l トマスは、イエス様に対して最も失礼となることを要求した
l 私達が被害者意識を持ち始める時、心は頑固になり、とんでもない要求をし始める
Ⅱ.信じない者にならないで、信じる者になる
ヨハネ20:27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
l イエス様は、トマスの失礼な要求にも、答えてくださった。
l 既に十字架にかかられたイエス様は、トマスが信じるためには、どんなことでもする覚悟があった
l イエス様が最も悲しまれるのは、ご自分が用意された救いの道を、頑なな心のために否定して生きる人々の態度ではないか?
l 信じない者にならないで、信じる者、頑固にならないで、素直な者になりたい
Ⅲ.見ないで信じる者は幸い
ヨハネ20:29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
Ⅰペテロ1:8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。
l 「見ずに信じる」とは、信用できる人々の証言を信じるということ
l 私達はみな、「見ずに信じた」人々である
l イエス様は、その私達を「幸いです」と言ってくださる
l イエス様を信じて行く時、目には見えないが、本当に存在され、私達のためなら何でもすると言ってくださるほど、私達を愛してくださることを体験するようになる
l トマスは、福音を携えて、東へと旅だった
l 命をかけて、福音を宣べ伝える人となった
l 私達も、信じる者となり、イエス様を体験し、イエス様の証人となりたい
2020年4月12日 イースター礼拝 イースターは勝利のしるし!
2020年4月12日(日) No. 1248
主日礼拝 イースターは勝利のしるし!
メッセージ:林 幸司師(東京メトロチャーチ主管牧師)
【本日のメッセージ】
聖書箇所: ヨハネ20:1〜18、Ⅰコリント15:55〜57
Ⅰコリント15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
15:57 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
15:58 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。
I.誘惑と罪に対する勝利
l ゲッセマネの園で「できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」と言われても天の父に従われて十字架にかかられた
l ご自分を十字架にかけた人々に対する報復、怒り、恨み、憎しみ・・の誘惑と権利を放棄し、勝利された
l すべての人々の罪を十字架で背負われて、罪に勝利された
II.死に対する勝利
l 三日目によみがえられたことで、「イエスは死んで終わりではなかった」ということが証明された
l 最大の敵である「死」は、イエスをとどめておくことが出来なかった
l 死に対する勝利は、すべてのものに勝利を意味している
III.呪いと罰に対する勝利
l 「こうしておけばよかった」「私が悪かった」・・という後悔を感じることはありますか?
l 後悔・罪悪感・自責の念・・・いつも悪魔は私達を責め立てようとする
l イエス様の十字架と復活により、「私たちを責め立てている債務証書を無効にされた」
2020年4月5日 受難週 礼拝メッセージ 棕櫚の聖日礼拝
2020年4月5日(日) No. 1247
主日礼拝 棕櫚の聖日礼拝(受難週)YouTube配信
メッセージ:林 幸司師(東京メトロチャーチ主管牧師)
【本日のメッセージ】
聖書箇所:マタイ21:1-11、ヨハネ8:34-36、Ⅱコリント5:20
マタイ21:9 群衆は、イエスの前を行く者たちも後に続く者たちも、こう言って叫んだ。「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。 ホサナ、いと高き所に。」
21:10 こうしてイエスがエルサレムに入られると、都中が大騒ぎになり、「この人はだれなのか」と言った。
I. 何を(誰を)王としていますか?
ヨハネ8:34 イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行っている者はみな、罪の奴隷です。8:36 ですから、もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです。
l 恐れや憎しみを王としている人々もいる
l 多くの人にとっては、自分自身が王
l 誰があなたの王ですか?
II. イエス・キリストは私達を愛し、勝利するために来られた
ヨハネ8:36 ですから、子があなたがたを自由にするなら、あなたがたは本当に自由になるのです。
l 私達の人生の王座を、イエスに明け渡すなら、私達は奴隷ではなく、自由になる
l イエス・キリストは、私達を支配されるためではなく、悪から救い、解放するために来られた
l それは私達を愛しておられるから
III. 今こそ、イエス・キリストを王として受け入れよう
Ⅱコリント5:20 こういうわけで、神が私たちを通して勧めておられるのですから、私たちはキリストに代わる使節なのです。私たちはキリストに代わって願います。神と和解させていただきなさい。
l イエス様は私達のところに来てくださる
l 誰とも会えなくても、誰もあなたを訪ねて来れなくても
l 救いをもたらすために信じる人々のために
l 信じる人々のために、救いをもたらすために来て下さる