2020年4月19日(日) No. 1249
礼拝メッセージ 私達に歩み寄ってくださるイエス様
メッセージ:林 幸司 主管牧師
聖書箇所:ヨハネ20:24-29
ヨハネ20:24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。
Ⅰ.トマスの被害者意識
ヨハネ20:25 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と言った。
l トマスは、自分がいない時に、イエス様が現れたことについて不満だった
l 自分は避けられているのではないか?と思ったのかもしれない
l 赦されていないと感じたのかもしれない
l トマスは、イエス様に対して最も失礼となることを要求した
l 私達が被害者意識を持ち始める時、心は頑固になり、とんでもない要求をし始める
Ⅱ.信じない者にならないで、信じる者になる
ヨハネ20:27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
l イエス様は、トマスの失礼な要求にも、答えてくださった。
l 既に十字架にかかられたイエス様は、トマスが信じるためには、どんなことでもする覚悟があった
l イエス様が最も悲しまれるのは、ご自分が用意された救いの道を、頑なな心のために否定して生きる人々の態度ではないか?
l 信じない者にならないで、信じる者、頑固にならないで、素直な者になりたい
Ⅲ.見ないで信じる者は幸い
ヨハネ20:29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
Ⅰペテロ1:8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。
l 「見ずに信じる」とは、信用できる人々の証言を信じるということ
l 私達はみな、「見ずに信じた」人々である
l イエス様は、その私達を「幸いです」と言ってくださる
l イエス様を信じて行く時、目には見えないが、本当に存在され、私達のためなら何でもすると言ってくださるほど、私達を愛してくださることを体験するようになる
l トマスは、福音を携えて、東へと旅だった
l 命をかけて、福音を宣べ伝える人となった
l 私達も、信じる者となり、イエス様を体験し、イエス様の証人となりたい