2012年10月30日火曜日

イエス様と一緒に立っていたホーム




10月28日、出身教会である大阪中央福音教会の聖会にお招きいただきました。
二十数年ぶりの教会。みなさんが、熱烈に歓迎して下さいました。
天王寺から、いつも通っていた道のりを、当時の私とほとんど同じ歳である次女と一緒に教会に向かいました。その時に撮った写真です。

 16歳のあの時、高校の同級生、伊藤君にだまされて(笑)、初めて行った教会の映画伝道会(塩狩峠:三浦綾子原作)の帰り、私はこのホームで憤然と立っていました。

「なぜ、主人公が最後に人のために死ななければならなかったのか?僕には全く理解できない!!身も知らない人々は放っておいて、目の前の結婚に向かえば、ハッピーエンドだったのに、何故彼はその人々を救うために自分の命を投げ出したのか?」ともやもやした、やり場がない思いを持ちながら、薄暗いこのホームで教会でもらった小冊子を手にしながら、電車を待っていたことを思い出します。

 実はその疑問こそ、「イエス・キリストが私のために死んで下さったことを信じる」という信仰へと導く大切なドアだったことを思う時、本当に神様の愛と奇跡を感じます。
 私の霊的な旅は、あの思いを持ったこの場所から始まったのかもしれません。
ドラマチックに考えれば、あの時このホームには私の隣にイエス様が立っておられたのかもしれません。

2012年10月18日木曜日

2012.10.7「あなたにも夢とビジョンが与えられる!」

 

メッセージ:林 幸司 主管牧師
聖書箇所:Ⅰサムエル16:1〜13、Ⅱサムエル5章など
Ⅰサムエル16:12 エッサイは人をやって、彼を連れて来させた。その子は血色の良い顔で、目が美しく、姿もりっぱだった。【主】は仰せられた。「さあ、この者に油をそそげ。この者がそれだ。」
16:13 サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油をそそいだ。【主】の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。

I.夢とビジョンに 年齢や立場 は関係ない
Ⅰサムエル16:7 しかし【主】はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、【主】は心を見る。
16:11 サムエルはエッサイに言った。「子どもたちはこれで全部ですか。」エッサイは答えた。「まだ末の子が残っています。あれは今、羊の番をしています。」
預言者サムエルがダビデの所に来た時、エッサイと家族は、ダビデを対象者だと思わなかった
ダビデは、兄たちの留守番として羊の番をしていた
神様は、ダビデの心を見て、次の王として選ばれた
ダビデに油を注がれた瞬間、聖霊が彼に激しく臨んだ
彼は新しい夢とビジョンを持つ人になった

II.健全な 自尊心 を持たないと夢とビジョンを受け取れない
「私のような若い者に・・小さな者に・・年配者に・・」と思っていると、神様からの夢とビジョンを聞き逃してしまう
「それは私に語っておられるのですか?」と思う
「主は、私に語って下さる。主は私を用いて、すばらしい人生を歩ませようとしておられる」という自尊心を持つ必要がある
主はすぐに、夢とビジョンを与えて下さる

III. 実現までには 時間 がかかる
2サムエル 5:4 ダビデは三十歳で王となり、四十年間、王であった。
預言者サムエルから任命の油注ぎを受けたのが、17〜18歳くらい
王になるまでに12〜13年かかった
そのなかの6年間は、逃亡生活だった
サウル王を何度も殺すことができたチャンスがあったのに、ただ神様のタイミングだけを忍耐深く待った
その大きな試練の中で、ダビデは王になるために必要な資質を身につけた

IV. 多くの 協力者、チーム を得ることが必要 
多くの人が、「周囲の人々は、自分の夢とビジョンの協力者になってくれる」ことを知らない
神様は、私達が一人で働くように、ご計画しておられない
夢とビジョンを分かち合って、神様の栄光を表す人生を送りたい!

2012年10月2日火曜日

私の思いの中に植えられた種

先日のメッセージは、「夢とビジョンを持って生きる」でした。

メッセージの準備をしているうちに、「夢とビジョン」について改めて考えさせられました。
「幻の無い民は滅びる」と箴言にありますが、それは私達が自分勝手に思いついたことをビジョン・夢・幻ということとは、大きな隔たりがあると思いました。

 私自身は、イエス・キリストを信じる前までは、ジャズ・ピアニストになりたかったわけですが、それは「一人でも多くの人が、自分の奏でる音楽で幸せになってくれれば・・・」という動機からでした。

 キリストを信じても、「音楽を用いて」というのは変わらなかったのですが、それが「キリストを伝えて、人々に幸せになってもらいたい」という思いへと変えられていったのだと思います。(ちょっと一言では、言い表せないのですけれど・・・)

 そんなことを思い出しながら、「やっぱり、今の自分は一人の人として、クリスチャンとして、牧師として、夫、父として・・このすばらしい知らせを何とかしてでも、多くの方々に伝えたい!」と思っていることを確認しました。

 それは、私自身から出たことではなく・・・というか、元々神様が私の内側に植えておいて下さった種のようなものが、イエスとの出会いによって、芽を出し成長し、花を咲かせ(・・てるかな?)、実を実らせる(・・かな?)ようになったのだと思います。

 そうだとすれば、「あなたがたのうちに志を立てさせ・・・」というのも、実は私がこの世に生を受ける前から、私の内側に神様が植えておいて下さった種のことを言っているのだと思うのです。

 自己啓発やビジネスの世界なら、「野心を抱け!」と言うところでしょうけれど、聖書が言っている夢とビジョンは、決して自己中心的なものではなく、イエスのもとから来ている思いのことだと、改めて確信した次第です。

 それでも、あくまで選ぶのは私達自身ですから、「こうさせられた」「コントロールされた」と言うのは、違うのだと思います。
 「イエスが、私のうちに植えておいて下さった種(夢とビジョン)が提示されている。それを私は自分の意志で選びます。」というプロセスを通ることが必要なのだと改めて思わされていますが、どうでしょう・・・?

 そんな思いを込めて、メッセージをしました。あなたはどう思いますか?

9月30日礼拝 夢とビジョンをもって生きる


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メッセージ:林 幸司 

聖書箇所:ピリピ2:13、出エジプト2〜3章、申命記30:19
ピリピ2:13 神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。

I.夢とビジョンは、神様から来る
l  イエス・キリストを受け入れる前は、人はそれぞれのビジョンと夢で生きている
l  神の国に入る時、神様は私達に元々ご計画されていたビジョンと夢を提示される
l  それを選ぶ時、自分自身の古い夢とビジョンを明け渡すことになる
l  モーセは、自分自身が抱いていた「同胞を解放したい」という夢とビジョンをあきらめた
l  私達一人一人は、神様の愛によって特別に創造された存在
l  その一人一人に対して、オリジナルな夢とビジョンが計画されている
l  既製服とオーダーメイドの違い

II.神様は、夢とビジョンに到達するための道筋をご存知
出エジプト3:10 今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」
l  人生の旅は、目的地だけが大切なのではない
l  どうやってそこまで行くのか?(方法、戦略)
l  何を持っていけば良いのか?(能力、スキル)
l  誰が目的地に連れて行ってくれる優秀なツアーリーダーとなるか?
l  モーセは、一度あきらめた夢とビジョンを、神様から与えられた
l  自分が導き手になるのではなく、神様がリーダーとなってくださった

III. 従うことと自由意志を用いること
申命記30:19 私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、
30:20 あなたの神、【主】を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ。確かに主はあなたのいのちであり、あなたは【主】が、あなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた地で、長く生きて住む。
l  神様は夢とビジョンを決して強制されない
l  提示された夢とビジョン、「いのち」「祝福」を選ぶなら、私達自身も私達の子孫も祝福を受ける。
l  神様が「提示」される夢とビジョンを、選択する自由意志を働かせることが大切
l  選んだ選択が正しいことを確認出来たなら、ぶれないで神様に従う必要がある