2012年10月2日火曜日

私の思いの中に植えられた種

先日のメッセージは、「夢とビジョンを持って生きる」でした。

メッセージの準備をしているうちに、「夢とビジョン」について改めて考えさせられました。
「幻の無い民は滅びる」と箴言にありますが、それは私達が自分勝手に思いついたことをビジョン・夢・幻ということとは、大きな隔たりがあると思いました。

 私自身は、イエス・キリストを信じる前までは、ジャズ・ピアニストになりたかったわけですが、それは「一人でも多くの人が、自分の奏でる音楽で幸せになってくれれば・・・」という動機からでした。

 キリストを信じても、「音楽を用いて」というのは変わらなかったのですが、それが「キリストを伝えて、人々に幸せになってもらいたい」という思いへと変えられていったのだと思います。(ちょっと一言では、言い表せないのですけれど・・・)

 そんなことを思い出しながら、「やっぱり、今の自分は一人の人として、クリスチャンとして、牧師として、夫、父として・・このすばらしい知らせを何とかしてでも、多くの方々に伝えたい!」と思っていることを確認しました。

 それは、私自身から出たことではなく・・・というか、元々神様が私の内側に植えておいて下さった種のようなものが、イエスとの出会いによって、芽を出し成長し、花を咲かせ(・・てるかな?)、実を実らせる(・・かな?)ようになったのだと思います。

 そうだとすれば、「あなたがたのうちに志を立てさせ・・・」というのも、実は私がこの世に生を受ける前から、私の内側に神様が植えておいて下さった種のことを言っているのだと思うのです。

 自己啓発やビジネスの世界なら、「野心を抱け!」と言うところでしょうけれど、聖書が言っている夢とビジョンは、決して自己中心的なものではなく、イエスのもとから来ている思いのことだと、改めて確信した次第です。

 それでも、あくまで選ぶのは私達自身ですから、「こうさせられた」「コントロールされた」と言うのは、違うのだと思います。
 「イエスが、私のうちに植えておいて下さった種(夢とビジョン)が提示されている。それを私は自分の意志で選びます。」というプロセスを通ることが必要なのだと改めて思わされていますが、どうでしょう・・・?

 そんな思いを込めて、メッセージをしました。あなたはどう思いますか?