主日礼拝メッセージ 信仰をもってイエス・キリストを見る
メッセージ:林 幸司 主管牧師
聖書箇所: マルコ6:1〜6、(並行箇所マタイ13:54-58)
マルコ 6:4 イエスは彼らに言われた。「預言者が敬われないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」
マルコ 6:6 イエスは彼らの不信仰に驚かれた。それからイエスは、近くの村々を巡って教えられた。
Ⅰ.郷里の人々の不信仰
l イエスが育ったナザレの人々は、彼を小さい頃から知っていたので、救い主として受け入れることができなかった
l イエスは父ヨセフの息子であり、同じ大工として10年くらいはここで働いた
l 母も兄弟も昔から知っていた
l イエスが特別な人である筈がないと断定した
l 彼らは、イエスに納得のいく説明を求めた
Ⅱ.不信仰のもたらす結果
マルコ 6:5 それで、何人かの病人に手を置いて癒やされたほかは、そこでは、何も力あるわざを行うことができなかった。
l イエス・キリストは、郷里の人々の不信仰のために、力あるわざを行うことが「できなかった」
l たとえ、イエスが多くの奇跡を行ったとしても、彼らにとっては意味がなかっただろう
マルコ 8:12 イエスは、心の中で深くため息をついて、こう言われた。「この時代はなぜ、しるしを求めるのか。まことに、あなたがたに言います。今の時代には、どんなしるしも与えられません。」
l 信仰につながらない奇跡は無益。
l 人間的な理解、説明、視点を持っていても、信仰がなければ力に満ちた神の一人子としては受け入れられない
Ⅲ.信仰をもってキリストを見つめる
マルコ 2:5 イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に「子よ、あなたの罪は赦された」と言われた。
l キリストに対する数多くの見方がある
l キリストは、ただの人間、すばらしい人物、悲劇のヒーローなど・・
l 聖書よりも、自分たちの考えを優先する時にそうなってしまう
l 人間的な視点を越えて、思い切った信仰をもってイエスを見つめ、受け入れることができるだろうか?
l イエス・キリストと生き生きした信頼関係を結ぶ時、私達の生活は恵みと奇跡の連続となる