2020年8月11日火曜日

おじいちゃんになりました

 8月3日、長女が男の子を出産し、私はおじいちゃんになりました。

コロナ禍の中、面会が許されず、昨日やっと孫に会えました。

男の子で、名前は尽心(つくし)くんです。かわいい!!

2020年8月10日月曜日

2020年8月9日 礼拝メッセージ 信教の自由に感謝しよう

 2020年8月9日(日)                                                                     No. 1265

 主日礼拝メッセージ  信教の自由に感謝しよう

メッセージ:林 幸司 主管牧師

【本日のメッセージ】 

聖書箇所:使徒10:9-35、エペソ2:10、使徒4:12

使徒10:35 どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられるのです。

.相手の自由を認める時、私にも自由が与えられる

l   「自分だけが正しい」と考えるのは、間違っている

l   「神様は正しい」と考えるのは正しい

l   ペテロは、「ユダヤ人は聖く、異邦人(外国人)は汚れている」と思っていた

l   イエス様によって救われていても、偏った考えの中に生きていることがある

l   イエス様は、そのような考えを打ち砕き、異邦人にも福音を知らせるために、ペテロにチャレンジされた

l   相手が「間違っている」と考えるのではなく、その考えやあり方を認める時、自分自身の信仰や自由も受け入れられる

.イエス様の働きは、戦いを挑む「聖戦」ではなく「和解の務め」をすること

エペソ2:10 私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。

l   イエス様は、「聖書か剣か?」と問われなかった。

l   十字架の和解の福音によって、ユダヤ人と異邦人の境目を打ち壊され、敵意を廃棄し、神の家族を作られた。

l   遠くにある戦争を考える前に、私達の周囲にある「敵意」に目を背けないで、「和解」の働きのためにイエス様に従うことを選び取りたい

.信教の自由の中で福音を伝える

使徒4:12 この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」

l   信教の自由が与えられている国にいることは、貴重なこと

l   「どの神様を信じても同じ。大切なのは信じる事だ」と多くの人々は考えている。

l   その自由を尊重しつつ、「唯一、まことの神様であるイエス・キリスト」の和解の福音を伝えたい

l   そのような確信と知恵は、日々のイエス様との出会いがなければ、得ることはできない

l   「自分の信仰をかろうじて守る」歩みから、「この世界に和解をもたらす使節、祭司としての生き方」へと歩み出そう

l   人々には、イエス様の救いと愛、赦しと和解、恵みと奇蹟、祝福と癒しが必要。




2020年8月2日 礼拝メッセージ 聖霊による超自然的な和解

 2020年8月2日(日)                                                                         No. 1264

 主日礼拝メッセージ  聖霊による超自然的な和解

メッセージ:林 幸司 主管牧師

【本日のメッセージ】 

聖書箇所:エペソ2章、ローマ5:10

エペソ2:14 キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、2:15 ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。

.和解とは隔ての壁を打ち壊すこと

l   イエス・キリストの十字架によって、私達の間を隔てていた「隔ての壁」は打ち壊された

l   「ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです」→十字架の犠牲によって、すべての人々の敵意を廃棄された。

l   理論や理屈ではなく、霊的に全人格的にそのことが成し遂げられた!

l   イエス・キリストを信じて救われる結果の一つは、敵意や赦せない思いから解放されること

l   私達の内側にそれがあるなら、本来の姿ではない

l   当たり前だ、仕方がないと思って、放置していてはならない

l   「敵意は十字架によって葬り去られました」

l   聖霊に助けを求めながら、取り組まなければならない。

.国、文化、言葉、世代を超える和解

エペソ2:17 それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。

ローマ 5:10 もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。

l   イエス・キリストの十字架と復活によって、私達は何のためらいもなく神様に近づくことが出来る

l   敵意が廃棄され、和解させられただけではなく、私達は神の家族とされた。

l   神様に敵対していた私達を、イエス様は和解させて下さった

l   イエス・キリストにあって豊かないのちに生きるようにして下さった

.聖霊による超自然的な和解

2コリント 5:19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。

l   神様は私達と和解してくださっただけではなく、和解の福音をゆだねてくださった

l   その福音を私達の隣人や世界に発信していこう!

2020年7月26日  礼拝メッセージ  私達の心を取り扱うイエス・キリスト

 2020年7月26日(日)                                                                       No. 1263

 主日礼拝メッセージ  私達の心を取り扱うイエス・キリスト

メッセージ:林 幸司 主管牧師

聖書箇所: マルコ7:1-23(並行箇所マタイ15:1-20)、Ⅰサムエル16:7

マルコ 7:6 イエスは彼らに言われた。「イザヤは、あなたがた偽善者について見事に預言し、こう書いています。『この民は口先でわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。7:7 彼らがわたしを礼拝しても、むなしい。人間の命令を、教えとして教えるのだから。』

Ⅰ.人間の教え(昔の人の言い伝え)と神の教えの違い

マルコ7:8 あなたがたは神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っているのです。」7:9 またイエスは言われた。「あなたがたは、自分たちの言い伝えを保つために、見事に神の戒めをないがしろにしています。

l  律法学者たちは、神の教えから派生させた人の教えを守ることこそ正しいと考えていた

l  人には外側(外見)と内側(心)の両面がある

l  人に評価されるためか?真の目的を達成するためか?

Ⅱ.人の外側ではなく、内側から出てくるものが、人を汚す

1サムエル 16:7人はうわべを見るが、【主】は心を見る。

マルコ 7:21 内側から、すなわち人の心の中から、悪い考えが出て来ます。淫らな行い、盗み、殺人、7:22 姦淫、貪欲、悪行、欺き、好色、ねたみ、ののしり、高慢、愚かさで、 7:23 これらの悪は、みな内側から出て来て、人を汚すのです。」

l  人から見て正しく賞賛されても、全く違う動機で何かを企んでいるなら、それは偽善である

l  人前での自分、社会的に評価されている自分を取り払ってみた時、どんな自分が浮かび上がるだろう?

l  誰にでも、人には言えない自分自身の真の姿がある

l  イエス・キリストは、その部分に触れて、扱いたいと願っている

Ⅲ.イエス・キリストは私達の心を扱ってくださる

マルコ 5:34 イエスは彼女に言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい。」

l  イエス・キリストは、私達の心に平安と確信、希望と愛を与えたい

l  私達が社会的存在として不本意な生き方も仕方ないことを神様は理解してくださる

l  神様にも人にも真実に生きるチャレンジを受け入れよう

l  イエス・キリストが私達の最も深い部分に触れてくださり、愛と優しさ、救いと癒しをもたらしてくださることを信じて、信頼しよう

 

2020年7月19日 礼拝メッセージ すべての必要を満たすイエス・キリスト

 2020年7月19日(日)                                                                     No. 1262

 主日礼拝メッセージ  すべての必要を満たすイエス・キリスト

メッセージ:林 幸司 主管牧師

聖書箇所: マルコ6:31-44、イザヤ53:6、ヨハネ10:10

マルコ 6:34イエスは舟から上がって、大勢の群衆をご覧になった。彼らが羊飼いのいない羊の群れのようであったので、イエスは彼らを深くあわれみ、多くのことを教え始められた。

Ⅰ.イエス・キリストは羊飼い

イザヤ 53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、【主】は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。

l  羊の特徴・・人間と似ている

1.   先が見えず、迷いやすい・・視野35m

2.   弱い・・足が遅く、牙や爪などの武器もない。臆病。

3.   安心がない・・他の羊を真似して安心を得る。

l  羊に羊飼いが必要なように、私達にも羊飼いが必要

l  キリストが、私達の羊飼いとなってくださる

1.   正しく導くお方として

2.   弱い羊を守るお方として

3.   平安を与えるお方として

l  羊のように迷いやすい人間は自分勝手な道に向かっている

l  そんな私達を愛して、イエス・キリストは十字架にかかられた

Ⅱ.霊と肉体、すべての必要を満たされるキリスト

マルコ 6:41 イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、パンを裂き、そして人々に配るように弟子たちにお与えになった。また、二匹の魚も皆に分けられた。

l  群衆は、食べ物を求めたわけではないが、イエスは彼らが空腹であるという必要を満たしたかった

l  弟子達に「食べる物をあげなさい」と言われたのは信仰を試されたから

l  弟子達は、200デナリ(約200万円)と人間的に計算した

l  五つのパンと二匹の魚で男性だけでも5000人を養われた

l  弟子達の肉体的必要も思いやって、休みを取らせられた

l  イエスは、「霊的な必要はわたしに、物質的な必要は自分でしなさい」とは言われない

Ⅲ.最小限ではなく、最大限与えられるキリスト

マルコ6:42 彼らはみな、食べて満腹した。

l  男女すべてを含めて1万人以上が、「食べて満腹した」

l  多くの人々が、「イエス・キリストは最小限のもので我慢しなさい」と言われると誤解している

l  イエス・キリストは、羊がいのちを豊かに得るために来られた

l  私達は、すべての必要を満たすイエス・キリストに信頼しよう

2020年7月12日 礼拝メッセージ バプテスマのヨハネの死

 2020年7月12日(日)                                                                                              No. 1261

 主日礼拝メッセージ  バプテスマのヨハネの死

メッセージ:林 幸司 主管牧師

聖書箇所: マルコ6:1431、(並行箇所マタイ14:1-12、ルカ9:7-9

マルコ 6:14 さて、イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は言っていた。「バプテスマのヨハネが死人の中からよみがえったのだ。だから、奇跡を行う力が彼のうちに働いているのだ。」Ⅰ.罪を犯しながらも正しいことを求めるヘロデ

マルコ 6:20 それは、ヨハネが正しい聖なる人だと知っていたヘロデが、彼を恐れて保護し、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾けていたからである。

l  バプテスマのヨハネは、相手が王であろうと、神の目に正しいことを主張した

l  保護されている身として、王に刃向かうことは難しかっただろう

l  ヘロデ王も、ヨハネの教えに当惑しながらも喜んで耳を傾けていた

l  王の中に、罪と「正しくありたい」という願いが混在していた

Ⅱ.罪の原理と神の国の原理

マルコ 6:21 ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが自分の誕生日に、重臣や千人隊長、ガリラヤのおもだった人たちを招いて、祝宴を設けたときのことであった。6:22 ヘロディアの娘が入って来て踊りを踊り、ヘロデや列席の人々を喜ばせた。そこで王は少女に、「何でも欲しい物を求めなさい。おまえにあげよう」と言った。

l  「良い機会」というのは、ヘロディアにとっての見方

l  ヨハネを恨んでいたヘロディアが、娘サロメを利用して彼を殺すように仕向けた

Ⅲ.バプテスマのヨハネの死とキリストの十字架の死

マルコ 6:25 少女はすぐに、王のところに急いで行って願った。「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます。」6:26 王は非常に心を痛めたが、自分が誓ったことであり、列席の人たちの手前もあって、少女の願いを退けたくなかった。

l  バプテスマのヨハネは、なぜこのような最期をとげなければならなかったのか?

l  ヨハネの使命は、イエス・キリストを指し示し、道を備えること

l  ヨハネは役目を終え、イエスは十字架へと向かわれた

2020年7月5日 礼拝メッセージ 信仰をもってイエス・キリストを見る

 主日礼拝メッセージ  信仰をもってイエス・キリストを見る

メッセージ:林 幸司 主管牧師

聖書箇所: マルコ6:16、(並行箇所マタイ13:54-58

マルコ 6:4 イエスは彼らに言われた。「預言者が敬われないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」

マルコ 6:6 イエスは彼らの不信仰に驚かれた。それからイエスは、近くの村々を巡って教えられた。

Ⅰ.郷里の人々の不信仰

l  イエスが育ったナザレの人々は、彼を小さい頃から知っていたので、救い主として受け入れることができなかった

l  イエスは父ヨセフの息子であり、同じ大工として10年くらいはここで働いた

l  母も兄弟も昔から知っていた

l  イエスが特別な人である筈がないと断定した

l  彼らは、イエスに納得のいく説明を求めた

Ⅱ.不信仰のもたらす結果

マルコ 6:5 それで、何人かの病人に手を置いて癒やされたほかは、そこでは、何も力あるわざを行うことができなかった。

l  イエス・キリストは、郷里の人々の不信仰のために、力あるわざを行うことが「できなかった」

l  たとえ、イエスが多くの奇跡を行ったとしても、彼らにとっては意味がなかっただろう

マルコ 8:12 イエスは、心の中で深くため息をついて、こう言われた。「この時代はなぜ、しるしを求めるのか。まことに、あなたがたに言います。今の時代には、どんなしるしも与えられません。」

l  信仰につながらない奇跡は無益。

l  人間的な理解、説明、視点を持っていても、信仰がなければ力に満ちた神の一人子としては受け入れられない

Ⅲ.信仰をもってキリストを見つめる

マルコ 2:5 イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に「子よ、あなたの罪は赦された」と言われた。

l  キリストに対する数多くの見方がある

l  キリストは、ただの人間、すばらしい人物、悲劇のヒーローなど・・

l  聖書よりも、自分たちの考えを優先する時にそうなってしまう

l  人間的な視点を越えて、思い切った信仰をもってイエスを見つめ、受け入れることができるだろうか?

l  イエス・キリストと生き生きした信頼関係を結ぶ時、私達の生活は恵みと奇跡の連続となる


2020年7月25日土曜日

2020年5月31日 ペンテコステ礼拝 緊急事態宣言解除

緊急事態宣言が解除後、初めての礼拝でのメッセージです。週報に手書きで書いてみました。

2020年4月19日  私達に歩み寄ってくださるイエス様

2020年4月19日(日)                                             No. 1249

礼拝メッセージ  私達に歩み寄ってくださるイエス様

メッセージ:林 幸司 主管牧師

聖書箇所:ヨハネ20:24-29

ヨハネ20:24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。

Ⅰ.トマスの被害者意識

ヨハネ20:25 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と言った。

l  トマスは、自分がいない時に、イエス様が現れたことについて不満だった

l  自分は避けられているのではないか?と思ったのかもしれない

l  赦されていないと感じたのかもしれない

l  トマスは、イエス様に対して最も失礼となることを要求した

l  私達が被害者意識を持ち始める時、心は頑固になり、とんでもない要求をし始める

Ⅱ.信じない者にならないで、信じる者になる

ヨハネ20:27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」

l  イエス様は、トマスの失礼な要求にも、答えてくださった。

l  既に十字架にかかられたイエス様は、トマスが信じるためには、どんなことでもする覚悟があった

l  イエス様が最も悲しまれるのは、ご自分が用意された救いの道を、頑なな心のために否定して生きる人々の態度ではないか?

l  信じない者にならないで、信じる者、頑固にならないで、素直な者になりたい

Ⅲ.見ないで信じる者は幸い

ヨハネ20:29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」

ペテロ1:8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。

l  「見ずに信じる」とは、信用できる人々の証言を信じるということ

l  私達はみな、「見ずに信じた」人々である

l  イエス様は、その私達を「幸いです」と言ってくださる

l  イエス様を信じて行く時、目には見えないが、本当に存在され、私達のためなら何でもすると言ってくださるほど、私達を愛してくださることを体験するようになる

l  トマスは、福音を携えて、東へと旅だった

l  命をかけて、福音を宣べ伝える人となった

l  私達も、信じる者となり、イエス様を体験し、イエス様の証人となりたい

2020年4月12日 イースター礼拝 イースターは勝利のしるし!


2020年4月12日(日)                                             No. 1248

主日礼拝     イースターは勝利のしるし!

      メッセージ:林 幸司師(東京メトロチャーチ主管牧師)

【本日のメッセージ】

聖書箇所: ヨハネ20:118、Ⅰコリント15:5557

Ⅰコリント15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」

15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。

15:57 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。

15:58 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。

 I.誘惑と罪に対する勝利

l   ゲッセマネの園で「できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」と言われても天の父に従われて十字架にかかられた

l   ご自分を十字架にかけた人々に対する報復、怒り、恨み、憎しみ・・の誘惑と権利を放棄し、勝利された

l   すべての人々の罪を十字架で背負われて、罪に勝利された

II.死に対する勝利

l   三日目によみがえられたことで、「イエスは死んで終わりではなかった」ということが証明された

l   最大の敵である「死」は、イエスをとどめておくことが出来なかった

l   死に対する勝利は、すべてのものに勝利を意味している

III.呪いと罰に対する勝利

l   「こうしておけばよかった」「私が悪かった」・・という後悔を感じることはありますか?

l   後悔・罪悪感・自責の念・・・いつも悪魔は私達を責め立てようとする

l   イエス様の十字架と復活により、「私たちを責め立てている債務証書を無効にされた」

2020年4月5日 受難週 礼拝メッセージ 棕櫚の聖日礼拝



2020年4月5日(日)                                                                        No. 1247

主日礼拝     棕櫚の聖日礼拝(受難週)YouTube配信

      メッセージ:林 幸司師(東京メトロチャーチ主管牧師)

【本日のメッセージ】

聖書箇所:マタイ21:1-11、ヨハネ8:34-36、Ⅱコリント5:20

マタイ21:9  群衆は、イエスの前を行く者たちも後に続く者たちも、こう言って叫んだ。「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。        ホサナ、いと高き所に。」

21:10  こうしてイエスがエルサレムに入られると、都中が大騒ぎになり、「この人はだれなのか」と言った。

I. 何を(誰を)王としていますか?

ヨハネ8:34 イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行っている者はみな、罪の奴隷です。8:36 ですから、もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです。

l  誰もが何か(誰か)を王として考えている

l  恐れや憎しみを王としている人々もいる

l  多くの人にとっては、自分自身が王

l  誰があなたの王ですか?

II.  イエス・キリストは私達を愛し、勝利するために来られた

ヨハネ8:36  ですから、子があなたがたを自由にするなら、あなたがたは本当に自由になるのです。

l  私達の人生の王座を、イエスに明け渡すなら、私達は奴隷ではなく、自由になる

l  イエス・キリストは、私達を支配されるためではなく、悪から救い、解放するために来られた

l  それは私達を愛しておられるから

III.  今こそ、イエス・キリストを王として受け入れよう

コリント5:20  こういうわけで、神が私たちを通して勧めておられるのですから、私たちはキリストに代わる使節なのです。私たちはキリストに代わって願います。神と和解させていただきなさい。

l  イエス様は私達のところに来てくださる

l  誰とも会えなくても、誰もあなたを訪ねて来れなくても

l  救いをもたらすために信じる人々のために

l  信じる人々のために、救いをもたらすために来て下さる