2012年9月27日木曜日

礼拝9/23「恐れによる「奴隷の人生」と愛による「自由な人生」


メッセージ:林 幸司
聖書箇所:ガラテヤ5章全体
ガラテヤ5:1 キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。

I.多くの人は自分が奴隷であることに 気付かない 

・聖書は、すべての人間が、「奴隷のくびきを負って生きてきた」と宣言している
多くの人々は、「私は自由だ」と思っていて気付かない
聖書の言う「奴隷状態」とは何か?
恐れを土台とし、決まりを守ることに終始してしまい、受け身的で他者と比較して生きる人生
人は誰でも、聖書の言う「奴隷」か「自由人」かを選択できる

II.自由の使い方を 学ぶ 必要がある
ガラテヤ5:13 兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。
5:14 律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という一語をもって全うされるのです。
イエス・キリストの十字架の贖い(あがない)によって、私達が自由にされる道が開かれた
それを認めて受け入れる時、初めて真の自由を得ることができる
「与えられた自由」を、自己中心のために用いることもできる。
神様は自由を用いて、愛をもって互いに仕えるように勧めている。
その結果、私達自身も周囲の人々も自由の中に生きることが出来る。
律法、規則、強制によってではなく、自発的な愛を発信する時、奴隷から自由人となり、多くの人々に良い影響を及ぼすことができる

III.  御霊 によって生きる 
ガラテヤ5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
私達の内側にある本来の性質(肉)は、神様が私達に送られた御霊と対立する
キリストの十字架によって与えられた自由をもって生きるためには、肉の声ではなく、御霊の声に耳を傾けて生きる必要がある
  ・愛をもって自由人として生きるために、聖霊の声に従いましょう