2014年12月1日月曜日

20141201そのうち、神様がすばらしいことをしてくださり、私は賛嘆の声をあ げ るに決まっている!

今日は、いつもメトロの皆さんにお送りしている、御言葉メールを掲載します。
                 
2014年12月1日

本日の聖句

しかし、私のたましいよ、気落ちするな。 動転するな。 神様はきっと乗り出してくださる。 そのうち、神様がすばらしいことをしてくださり、私は賛嘆の声をあげるに決まっているのだ。 このお方こそ、私のいのち綱。 私の神なのです。 
詩篇 42:11 JLB
みなさん、おはようございます。

昨日は、横田ICAで恵まれた礼拝の時を持つ事ができました。

さて、今日から12月に入りました。
私たちは、神様の奇跡を体験する月として、この一ヶ月に期待して行きたいと思います。

この箇所は、新改訳では、
「わがたましいよ。
なぜ、おまえはうなだれているのか。
なぜ、私の前で思い乱れているのか。
神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。
私の顔の救い、私の神を。」
と訳されています。

ダビデは、自分の内側にある魂に、まるで別人であるかのように、呼びかけています。
感情が嵐のように混乱していても、信仰と理性を働かさせて、それを押さえ込み、うなだれている魂に訴えているのです。

私たちの日常にも嵐がやってきます。その時、どんな対応をするかは、本人にしか決められません。

感情に任せてますます混乱するなら、もっとひどい嵐へと突入することでしょう。

一方で、嵐の中に垣間見える灯台の光のように、理性の中にある信仰を見つけ出して、魂に「神を待ち望め!」と命じるなら、
「そのうち、神様がすばらしいことをしてくださり、私は賛嘆の声をあげるに決まっているのだ。 このお方こそ、私のいのち綱。 私の神なのです。」
と告白で出来るようになり、嵐から解放されるのです。

あなたは、どちらを選択しますか?
今日も信仰を働かせましょう!

東京メトロチャーチ林 幸司

2014年11月7日金曜日

本日の聖句 - テモテヘの第一の手紙 2:5-6

みなさんこんにちは。

2014年11月7日

本日の聖句

その真理とは、こうです。 神と人間とは、それぞれ別の岸に立っています。 そして、人となられたキリスト・イエスがその間に立ち、ご自分のいのちを、全人類のために差し出すことによって、両者の橋渡しをされたのです。 これこそ、神様が時にかなって私たちに示された教えにほかなりません。  この真理を外国人に教え、救いは信仰によって与えられるという、神様の計画を伝えるために、私は宣教者また使徒として選ばれました。 これは、うそ偽りのない真実です。  そこで勧めます。 男は、罪を犯したり、怒ったり、恨みをいだいたりせずに、どこででも、きよい手を上げて祈りなさい。  同じように、女も、控え目な服装や態度で、品位を保つように心がけなさい。 クリスチャンの女性は、はでなヘアスタイルや宝石や高価な着物によって人の注意を引こうとはせず、良い行ないとやさしく親切なふるまいによって身を飾りなさい。  女は、物静かに、謙そんな心で教えを聞き、また学ぶべきです。
テモテヘの第一の手紙 2:5-6 JLB
今日のIテモテ2:5〜6のリビングバイブル訳を見ると、「そんな箇所があったかな?」と思うほど、新改訳とは違います。

2:5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。

2:6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。というのが新改訳です。また10節までも含まれているようです。

2:7 そのあかしのために、私は宣伝者また使徒に任じられ‐‐私は真実を言っており、うそは言いません‐‐信仰と真理を異邦人に教える教師とされました。

2:8 ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。

2:9 同じように女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、

2:10 むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行いを自分の飾りとしなさい。最初の部分を見ると、ある図を思い出します。それは、私達の教会でよく用いている「橋の図」です。

私達と神様との間には、深い溝があり、行いや哲学、宗教や努力では超えることが出来ません。

けれども、イエス・キリストが十字架にかかり、私達の為に死んで下さったことにより、そこに道が備えられ、私達を愛してやまない天の父なる神様につながることができるようになります。

そのために必要なことは、ただ一つ。イエス・キリストを救い主として信じることです・・・というものです。

「イエス・キリストは、ご自分のいのちを、全人類のために差し出すことによって、両者の橋渡しをされたのです」というのが、その内容です。

そして、この手紙を書いているパウロは、その宣教者、使徒として選ばれました。これは、彼が自分の人生の目的と使命をはっきりと確信していたことを表しています。

次は現代社会では問題になる箇所でしょう。男女差別のように思われるからです。けれども、これは男女の役割の差、性質の差ということも言えるのではないかと思います。

男性は、家庭を持っているとは限りませんが、ここでは家庭のリーダーとして、怒らず、恨みをいだかずに、手を挙げて祈るよう教えています。

もし、夫であり父である人がそのようであれば、妻も子供も安心することでしょう。

女性には、品位と親切で優しいふるまい、謙遜な心が求められています。

当時の女性には、特に学ぶチャンスが男性よりも少なかったという背景もあるかもしれません。(現代でもその傾向はありますが)

ここでパウロが言いたかったのは、男女差別ではなく、救いを受け入れ、キリストの証人としてすばらしい歩みをするための秘訣だと言えると思います。

今日の、みなさんの歩みの上に、それぞれの立場に応じた役割が、主から教えられ、「あなたらしい」生き方が与えられますように。

東京メトロチャーチ 林 幸司

2014年11月6日木曜日

20141106 今日の御言葉 箴言15:31-32


2014年11月6日

本日の聖句

ためになる批判をどんどん取り入れるのは利口な人です。 耳の痛いことを喜んで聞かないと、自分をだめにします。  神様を恐れ、謙そんに生きる人は知恵を身につけ、人からもほめられます。
箴言 15:31-32 JLB
みなさんこんにちは。

新改訳聖書では、
「15:31 いのちに至る叱責を聞く耳のある者は、知恵のある者の間に宿る。
15:32 訓戒を無視する者は自分のいのちをないがしろにする。叱責を聞き入れる者は思慮を得る。」

との言葉に訳されている箇所です。

「いのちに至る叱責」→「ためになる批判」、
「知恵のある者」→「利口な人」、
「訓戒」→「耳の痛いこと」、
「自分のいのちをないがしろにする」→「自分をだめにします」、
「叱責を受け入れる者」→「神様を恐れ、謙そんに生きる人」
という具合に比べてみると、「なるほどなあ」と納得しやすいのではないでしょうか?

私達は、他人を見て叱責したり批判したりしたくなることがあります。

「あなたのためだから」と本当に思っているなら良いのですが、そうでない時もあります。

一方で、本当に私達のためを思って、言いにくいことを言ってくれる人がいます。

そういう人に向かって「食ってかかって」ばかりいると、やがては誰も私達に本当の事を言ってくれなくなります。

まるで、「裸の王様」のようになってしまうのです。それが愚かであることは誰でもわかるのに、以外と自分のこととなると、わからなかったりします。

イエス様は、「人の目のちりを取らせて下さいと言っている、あなたの目から梁(丸太ん棒)が出ているではないか」と言われました。

私達を愛して、「ためになる批判」(いのちに至る叱責)をしてくれる人にも、それなりの覚悟がいるのです。そのことを理解するなら、謙遜になって、耳を傾けなければならないこともわかります。

「言われているうちが花」なんですよね・・・・

そういう信頼関係が構築されると、私達は周囲の人々の助言によって、どんどんと成熟し、賢くなっていくのです。

最近、ためになる批判をされたなら、自分が正しく応答できたか顧みましょう。

もしそうでなかったなら、熟考してその人に感謝を表し、アドバイスを受け入れるべきかもしれません。

身近な人の言うことほど、私達は受け入れにくいものだったりします。

愚かで高慢な人にならないで、賢く謙遜な人になりましょう。

そういう人は、「知恵を身につけ、人からも誉められる」のですから。

東京メトロチャーチ 林 幸司

2014年11月5日水曜日

10141105今日の御言葉 ローマ12:1




2014年11月5日

本日の聖句

愛する皆さん。 そういうわけですから、あなたがたにお願いします。 自分の体を神様にささげてください。 それを、神様に喜んでいただける、生きた、きよい供え物としてください。 神様がしてくださったことを思えば、これは、決してむりな注文ではないはずです。 
ローマ人への手紙 12:1 JLB

みなさんおはようございます。
今日は、ローマ12:1です。この御言葉は、私自身の人生の課題・目標であるとも言える箇所です。
多くの人々が、「どうやって多くのものを得るか?」と悪戦苦闘して生きています。けれども、聖書の神様の生き方は、「どれくらいささげることができるか?手放すことができるか?」というものです。
たとえば、私達が毎日いらいらすることにはどんなことがあるでしょうか?「自分は持っていないのに、あの人は持っている」「自分には出来なかったのに、あの人には出来ている」ということも含まれるでしょうか?
もしそうなら、私達は「自分には全く関係の無いこと」にイライラしていることになります。なぜなら、その人の人生と私の人生は、全く別のものですし、神様は別のご計画を持っておられるからです。
もし、そのような「こだわり」を捨てることが出来たら、そして祝福されている人を見て、心から喜ぶことが出来たら、どんなにすばらしいでしょう?!「でも、そんなことをしたからといって、私の状況が改善されるわけではない」と思われるかもしれません。
しかし、それは事実ではありません。神様は、そういう「ささげている」私達を喜んで下さり、豊かな祝福の中へと導いて下さるからです。
この箇所では、「こだわり」だけではなく、私達のからだすべてを神様にささげなさいと「命令」されています。そして、「神様がしてくださったことを思えば、これは、決してむりな注文ではないはずです」とあります。イエス様が、私達のためにすべてをささげてくださったことを思えば、私達が自分自身を神様にささげ、委ねることは合理的なことなのです。

今日、試しに一つのことをささげてみませんか?先ほどの「こだわり」でもいいですし「神様に時間をささげる」ことでもかまいません。一気にすべてを完全に・・などと考えないで、私達の人生はささげ続けることが続いていくと考えるのはどうでしょう?

今日、心の中のもやもやした部分が、「ささげる」ことを通して、秋晴れの真っ青な空のようになりますように。

昨日は、総務部会で教団本部でした。教団総会が来週火曜日から行われるため、私は月曜日から木曜日まで駒込に滞在します。教団のこれからが決められる総会のためにお祈り下さい。

今度の日曜は国立さくらホールでの礼拝(午前10:30〜)です。お間違えないようにしてください。

祝福が豊かにありますように。

東京メトロチャーチ 林 幸司

2014年9月11日木曜日

会堂、その後、「クレスト・ショック!」

ご存知のように、2013年2月16日(土)に、東京都国立市にあった東京メトロチャーチの会堂の隣家から、火災が発生しました。
その後、東京メトロチャーチは、建物を解体し、新会堂に向けて出発することを決断し、昨年4月からザ・クレストホテル立川を中心に礼拝を行っています。

一年半が経過した今も、国立市の土地は売却できず、次の会堂の候補地も見つかっていないのが現状です。
私達は、もうしばらくクレストホテルでの礼拝を行っていこうと思っていました。

ところが・・・・

先日9月7日(日)、クレストホテル側から「来年3月末でホテルを閉じ、全面リニューアル工事をすることになりました」というお知らせをいただきました。

私達は、そのことに驚きましたが、不思議と神様からの平安がありました。私も家内も、数日前に祈っていた時に、心の中に同じような感覚があったからです。

それは、
「近い将来、大きな変化が起こるが、驚く必要はない」という感覚です。

そのことを話し合った時、不思議な一致に驚きました。そして、「何が起こるんだろうね」と話し合っていたところでしたので、ホテルからそのことを言われた瞬間、「これだ!」と思いました。

私達は、Project2014というビジョンをもって、7年間祈ってきました。
その内容は、
・2014年に新会堂に移る
・その前に、会堂に関する負債を完済する
というものでした。

それがあったからこそ、火災への対処も、解体も、土地売却も、選択してきたのです。
ここで、立ち止まるわけにはいかない・・・ということを、神様から後押しされた感じです。

これから私達は、どこへ行くのか・・・どこへ導かれるのか・・・神様に信頼して、一歩一歩歩んでいこうと思います。
東京メトロチャーチのために祈ってくださっているみなさん、本当にありがとうございます。
引き続きお祈りくだされば感謝です。

2014年6月28日土曜日

東京都議会でのヤジに思う

2014年6月18日に起こった、東京都議会での塩村議員の質問中でのヤジは、日本だけではなく、世界17カ国のメディアでも取り上げられた。
興味深いのは、日本のメディアと海外のメディアでは、問題意識が大きく違ったことである。海外では、「セクシャルアビューズ」(性的虐待)として取り上げたメディアもあった。
慌てた日本のメディアは、それに対応する形で、これが女性の人権に関するものであることを、少しだけ取り上げるようになった。
CNNの記事は、私自身の感覚に近いものである。
http://www.cnn.co.jp/world/35049729.html

 その後、自民党の鈴木章浩議員が自分が言ったことを認めた。その朝には、「自分ではない」と言い、事件の直後には、「そういう議員はやめるべきだ」とまで言った鈴木議員。実際には、会派離脱しただけで、議員を続けていくと宣言した。
http://www.cnn.co.jp/world/35049839.html

 私達は、その動きを大変興味深く観察していた。夫婦の間でも、何が起こっているのかということについて話し合った。
 そこで見えてくるのは、日本社会の中に厳然と存在している女性蔑視の考え方だ。私達は、牧師として活動しているので、日々のオフィスで起こっているであろうセクハラやパワハラには出くわすことは無い。しかし、この事件を通してどれだけ多くの女性達が、今回の事件に象徴される扱いを受けてきたかを想像して、心がうずいた。

 私達に何が出来るのだろう。何をすべきなのだろう?
聖書には、「妻は夫に従いなさい」とある。しかし、その直後に「キリストが教会を愛したように、夫は妻を愛しなさい」ともある。もし、夫が命がけで妻を愛しているなら、夫に従う(原語では、「尊敬する」という意味)のではないか?この言葉は、決して男尊女卑を、聖書が勧めているのではないと考えている。しかし、女性を支配したい人々にとって、これは都合の良い言葉である。
 イギリスのダイアナ妃は、チャールズ皇太子との結婚式で「従う」という言葉を削除するように主張したという。それはもしかしたら、自分が命がけで愛されないことを知っていたからかもしれない。


 鈴木議員の「早く結婚しろ」のヤジは「少子化・晩婚化の中で、結婚していただきたい思いがあのような発言になった」と鈴木氏は釈明した。幼稚園生でも言わないような見え透いた釈明だ。もし、彼がこの問題の本質を理解していたなら、たとえばこう釈明しただろう。「私は今まで、女性の人権について軽視してきました。今回の発言は、女性全体に対する大きな侮辱であり、人権侵害であることを認め、心から謝罪いたします。ヤジを言ったという事実だけではなく、私の心の中に、そのような間違った意識があったことに、私は気付かされました。私は議員を辞職し、心を入れ替えて、一から女性だけではなく、人々の人権と尊厳について学ぶつもりです。本当に申し訳ありませんでした。」
そういう言葉を聞きたかったと思う。

 私達が日本社会にインパクトをもたらすことが出来るとするなら、それは私達家族や教会全体が、良いモデルになることではないだろうか。良いモデルとは何か?私自身もまだまだ学ばなければならないことが山積みであることを痛感した。

 

2014年2月8日土曜日

プチ雪かき

雪国の方々からすれば、ほんの数㎝の雪はなんでもないのですが、首都圏は大混乱です。

家の周囲を一度目の「プチ雪かき」しました。凍らないうちに、夕方までにもう一度雪かきしようと思っています。

それにしても、「雪が降っているので、手袋と帽子をつけて、足下には気をつけて」というニュースのアナウンスにはびっくりしてしまいます。

女性がパンプスで歩くなんてことは、富山の冬には絶対になかったので、普通の靴で歩いている方々をニュースで見て、その勇気(?)はすごいなあ・・・と思います。

二十年に一度の大雪になるそうで、明日の礼拝が心配です。

みなさん、転ばないようにお気を付け下さい。







2014年1月24日金曜日

1月19日メッセージ中の「ジャストフィット」について

1月19日(日)のメッセージに対するご質問をいただきました。ご本人の許可を得て、ご質問と私なりのお答えを掲載いたします。

【質問】
日曜日の先生のメッセージ勇気をいただきました。

ただ、同時に自分のジャストフィットって?という疑問が出てきます。

過去を振り返ると私は大抵過小評価をしすぎる傾向がある様です。

自分で歯がゆい思いを何度も経験しました。

神様にお聞きしたいのですか、未だ聞こえて来ません。

祈り方が悪いのか?と思ってみます。

何か私に出来る事が有りますか?


【答え】
過小評価してしまう思い、私にも覚えがあります。
せっかく、目の前にステップアップのチャンスや、チャレンジが来たのに、自分には、到底出来そうにないと思って、手を挙げなかったために、チャンスを逃してしまうということもありました。

 十字架の後のペテロも同じ思いで隠れていたのかもしれません。
彼を立ち直らせ、立ち上がるだけではなく強い力を与えたのは、聖霊であることはわかっているのですが、「私はそれほど信仰深くないし、祈りも足りない」と誰もが思うことではないかと思います。

 ジャストフィットという自分のあり様は、やはり、神様から来るものです。
過小評価も過大評価も、実は同じもので、表裏一体なのだと思います。
「自分は、本当はこうあるべきなのに、そこに到達していない」という焦燥感みたいなものを感じていたりすると、それとのギャップを埋めようとして、どちらかの思いになることがあるのかもしれません。
ペテロも、「私はイエス様の一番弟子だったのに」と思えば思うほど、恐れがやってきたのではないでしょうか?

 さて、そこでどうするか?
最近私が思わされるのは、「こうあるべきだ、というのは、本当だろうか?」ということです。
それは、親や同僚や家族や社会や自分自身が期待しているものであるかもしれませんが、神様の思いだろうか?と考えるとき、ホッとするというか、これでいいんだという原点に戻されます。
天才バカボンみたいに、「これでいいのだ!」と開き直る時に、初めてジャストフィットのスタートラインに立てたように思います。
そうすると、真っ白なスケッチブックに描き始めるように、神様は働きやすくなるのです。

 こだわりが支配している心には、神様の声は届きにくいのです。それは、信仰が足りないからではなく、雑音が多いからです。
祈るとすれば、ジャストフィットをお願いする前に、心をリセットしていただくようにお願いするのはどうでしょう?
そのためには、「神様、あなたは私を愛して、すばらしい人生へと導いてくださいますよね?!」という思いで主の前に立たなければならないでしょう。
そのためには、本気で自分自身のこだわりを、ささげるというか、良い意味で諦めることが前提となります。

 イエス様が、「ささげる時に、それを得る」というのは、そういうことだと思います。
主は、私達が求めてきた以上に良い道へと導かれます。
ある日、私達は、過小評価したり、自分を大きく見せようとしたりするよりも、はるかに楽に、リラックスして、社会の比較の中から抜け出して、自由な翼をかって飛んでいる人生を送っていることに気付くことでしょう。

ジャストフィットなご自分を見つけるために、少しでも助けになると良いのですが。

私自身も発展途上であり、神様が成熟へと導かれている一人として、ご一緒に主に求めて参りたいと思います。

2014年1月19日(日)礼拝 結いの心-3 力量にふさわしく働く力」


主管牧師  林 幸司
 
聖書箇所:エペソ4:16、1:4
エペソ 4:16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。

I. イエス様の力量は どれほどのものか 
ルカ 4:13 誘惑の手を尽くしたあとで、悪魔はしばらくの間イエスから離れた。
マタイ22:46 それで、だれもイエスに一言も答えることができなかった。また、その日以来、もはやだれも、イエスにあえて質問をする者はなかった。
1コリント 15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
 ・イエス・キリストは、ご自身の「力量」をいつも試されていた
  ・悪魔、宗教家、人間関係、孤独、死、すべての戦いに勝利された
  ・イエス様に、「赦す事が出来ない罪」は無かった

II. 私達は   自分自身や他の人   の力量を理解しているだろうか?
マタイ20:22 けれども、イエスは答えて言われた。「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」彼らは「できます」と言った。
・「身の程知らず」も「過小評価」も力量を理解していない証拠
   ・人には、「ジャスト・サイズの服」が必要
    ・自分を大きく見せようとしていると、「メッキがはがれて」失敗する
    ・過小評価して尻込みしていると、チャンスを逃す
    ・相手の力量を知らないで、それに合わない依頼をすると、相手が倒れたり、関係が壊れたり、損害をこうむったりする
    ・私達が違いに真実に、正直になることが出来れば、「現時点での力量」を認め合い、励まし合うなら、強い信頼関係を構築できる
    ・お互いを慈しみ、愛し合い、建て上げることができる

III. 力量を認めることは 愛すること 
22:31 シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
22:32 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
    ・イエス様ご自身は、私達の力量をご存知の上で、私達を赦し、信頼し、大切な使命を委ねて下さった
    ・私達が成長していくために、障害物となっていたものを、すべて取り去ってくださった
    ・今も私達のために、大祭司として祈って下さっている

 互いに力量を認め合って、ふさわしく働く力と、結び目によってキリストのからだを建て上げてまいりましょう

2014年1月23日木曜日

2014年1月12日(日)礼拝 結いの心-2

メッセージ:主管牧師  林 幸司
【本日のメッセージ】 

聖書箇所:エペソ4:16、1:4

エペソ 4:16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がそ

の力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目

によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛の

うちに建てられるのです。

  1. I. キリストご自身   が神様と私達との結び目

キリスト以前(B.C.)の時代も様々な形で、結び目を持たれた

イエス・キリストの十字架の死によって、創造主である神様との

 関係が修復された

復活によって、死に勝利し、同じ勝利の中に私達は入れられた

天に昇り、神の右に座られ、天の父と私達との間に立つ大祭司と

 して、とりなし、祈っていてくださる

神様のご計画を成し遂げられない私達のために、助け手、慰め手

 としての聖霊を送ってくださり、共に住む(内住)ようにされた

  1. II.日常生活でどのようにして     結び目   を見つけるか?

エペソ1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼に

あって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。

日常生活で、結び目であるキリストが働かれているのを、どのよ

 うにしたら見つけられるだろうか?

「私の人生の一部(日曜日、教会生活やセル)には神様が働いて

 いるが、その他の分野では自分で生きていく」という価値観もあ

 る

すべてのことは「自分の努力」「偶然」「運の善し悪し」「人々

 の扱いの善し悪し」などによって動いていると考えてしまう

大切なのは、「私達の住むすべての世界は、神様の支配と導きの

 中にある」と信じるという価値観

神様は、私達を世界の基の置かれる前から選んでくださっていた

 とすれば、私達の人生全体を導いてくださっている

日常生活のあらゆる場面で、イエス様が働かれていることを見つ

 けよう!

  1. III.私達の側から結び目を 強くする   

キリストによって天の父なる神様につながっている時、それは双

 方向からのつながり

結び目がゆるければ、神様とのつながりの価値を知らないまま、

 簡単に離れてしまう

どうすれば、結び目を強くすることができるだろうか?

祈り、聖書を読むこと、静かに神様との時間を過ごすことによっ

 て。

キリストのからだである一人一人を支え、励まし、とりなすこと

 によって

日々の生活の中にキリストが働かれていることを見つけ、互いに

 証することによって

結び目が強くなれば、神様からの祝福と恵みが、私達と周囲に流

 れていく
 

2013年12月15日(日)第三アドベント礼拝

メッセージ:主管牧師  林 幸司
【本日のメッセージ】 
聖書箇所:ルカ1:26〜38、ヨハネ15:16〜17
ルカ1:28 御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。1:29 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
 
I.  恵み によって選ばれる
ルカ1:30 すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです1:31 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。」
神様がイエス・キリストを産む女性としてマリヤを選ばれたのは、一方的な恵みによるものだった
彼女に資格があるとすれば、ダビデの家系のヨセフと結婚することだけだった
主は、ともにいてくださることによって、恐れから解放してくださることを約束された
「恵み」とは、それを受ける資格が無いのに、一方的に施される祝福のこと
私達も、恵みによって救われ、神様と共に人生を歩むようにされた
 
II.  使命 のために 代価 を払う
ルカ1:34 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」
1:35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
1:38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
マリヤは、全く理解出来ない選びを忠実に受け入れた
マリヤの使命は、神の子を出産して育てること
そのために、彼女は多くの代価を払わなければならなかった
社会からの誤解、中傷、死の危険、ヨセフに理解してもらうこと、妊娠出産という未経験の領域
マリヤは、それらの代価を払って使命を全うした
そのために、マリヤの一生の間、神様は共にいてくださった
 
III. 私達も   恵み によって選ばれている
ヨハネ15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。15:17 あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。
私達がイエス・キリストによって救われるのは、「恵み」による
神様からの一方的な選びによるもの
選びの目的は「実を結び、実が残るため」(使命を行うため)
資質があるから選ばれるのではなく、選ばれるから資質が備わる
私達は選ばれたことを、どれだけ真剣に受け止めるかによって、その結果も変わってくる
マリヤのように、最後まで使命を全うする人として生きていきたい

2013年12月1日(日)第一アドベント礼拝メッセージ 「未知の世界に踏み出す」

メッセージ:主管牧師  林 幸司

【本日のメッセージ】 聖書箇所:マタイ1:18-25
マタイ1:20 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
1:21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」

I. 未来に踏み出す最大の障害物は 恐れ 
マタイ1:18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
1:19 夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた
・私達の人生には恐れがやってくる
・不確定なことを選択しなければならない恐れ
・経験が無いことで、だまされてしまうのではないかという恐れ
・ヨセフが恐れたものとは何か?
・社会的に犯罪者扱いを受けること
・周囲の人々から疎外されること
・その町に居られなくなる可能性・・・
・結婚生活への不安
・この子をどのように育てたら良いのか?
・彼の恐れを取り除いたものは何か?
・夢に現れた主の使いが、「主からの言葉」を与えてくれた

II. 神様が用意したご計画を 迎え入れる 
・マリヤを妻として迎えるということは、神様が用意したご計画を迎え入れるということ
・自分自身で描いたシナリオではなく、神様の計画を優先すること
・彼は、喜んでマリヤを、ご計画を歓迎したのだろうか?
・彼は、嫌々それに従ったのだろうか?
・いずれにしても、ヨセフはマリヤを迎え入れる決心をした
大切な神の御子を宿す女性として
・一生守っていく妻として
・他にこの地上で迎え入れる人がいない、孤独な女性として

III. 聞くだけではなく  実行する 
マタイ1:24 ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、1:25 そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。
・信じているだけでは不十分
・神様の促しや励ましに応答する必要がある
・私達には未来は見えないので、「保障」となるものが欲しい
・神様を信じて行動するという信仰は、「賭け」である
・一方で、神無しの人生も「賭け」であることに変わりはない
・神様に人生の大切な決断を委ねても良いのか?
・神様のご計画に従っても大丈夫なのか?
・それらの疑問に向き合って、自分自身で決断することが大切
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