2010年10月21日木曜日
回復の喜び#123レッスン24 リサイクル1-4
【本日の聖書通読箇所】
一年コース ◆ イザヤ書59-61◆ Ⅱテサロニケ3
三年コース II列王10、マルコ4
【デイリーブレッド】
http://rbcjp.info/blog/2010/10/20/
昨日は、同窓会のことを書きました。何人もの方々から、「是非行った方がいいですよ」とアドバイスをいただいて、勇気をもって出席のハガキを出しました。励ましをありがとうございます。
さて、私は、1994年から2000年までマーチ・フォー・ジーザスの働きをしていました。毎年5月か6月に、イギリスの世界本部で日程が決められ、世界の何千という町で総計2000万人以上のクリスチャンが街に出て行き、行進するのです。それは、同じ時刻で始められるために、24時間すべてのタイムゾーンで行われました。陸地のないタイムゾーンには、宣教のための船が出され、甲板の上でマーチしました。そのことにより、賛美と礼拝が24時間地球上で絶え間なく続きました。
その日本大会が行われた時のゲストは、パキスタンの牧師でした。ただでさえ、イスラム教の迫害があるのに、その日に外に出てマーチをしているというのです。彼の信仰に励まされました。集会の最後に、彼は洗面器を持ってきて、そこに集まっている牧師たちの足を洗ってくれました。私は、そのときの感動を忘れることが出来ません。「本当なら、信仰が自由に持てて、豊かな私達がパキスタンのあなたに何かしなければならないのに・・・」と涙があふれました。
仕えるという行為は、たくさん持っているとか、持っていないとか、どちらが目上かとかいうこととは関係がありません。
王の王、主の主であり、神様であるイエス様が、弟子の足を洗われたことによって、「私にはそれはできない」というすべての言い訳やブライドは吹き飛んでしまいました。
今日、私達は誰の足を洗うのでしょう?それをしても、喜ばれないばかりか、罵倒されるかもしれません。でも、私達はイエス様に従いたいのです。
仕えることによる主の勝利が、今日のみなさんに与えられますように。
【回復の喜びレッスン24 リサイクル1−4】
●キリストがされたように仕える(Serve others as Jesus Christ did)
原則8にたどり着いたあなたは、弟子たちの足を洗われたキリストにならう準備ができました。
「あなたがたはわたしを『先生』とも、『主』とも呼んでいます。それはかまいません。まさにそのとおりなのですから。その、主でも先生でもあるわたしが足を洗ってあげたのですから、あなたがたも互いに足を洗い合いなさい。」ヨハネ13:14−15TLB
(ジョン・ベーカー著「回復の喜び」より抜粋)