2012年11月18日日曜日

11/17(土) 14ヶ月聖書通読15日目


本日の聖書箇所は、創世記39〜41章、ルカ16章 です。 
明日の日曜日はお休みです。追いついて下さい。
月曜日の聖書箇所は、創世記42〜43章、詩篇5篇、ルカ17章です。

【ヨセフ、奴隷から牢獄、牢獄からエジプト第二の地位へ】
創世記 39:4-6 "そこで、ヨセフは彼の前に恵みを得、そのそば近く仕えた。彼はヨセフに家をつかさどらせ、持ち物をみな彼の手にゆだねた。 彼がヨセフに家とすべての持ち物をつかさどらせた時から、主はヨセフのゆえにそのエジプトびとの家を恵まれたので、主の恵みは彼の家と畑とにあるすべての持ち物に及んだ。 そこで彼は持ち物をみなヨセフの手にゆだねて、自分が食べる物のほかは、何をも顧みなかった。さてヨセフは姿がよく、顔が美しかった。"http://bible.us/81/gen.39.4.ja1955
・ヨセフは、兄弟に裏切られてエジプトに奴隷として売られていきました。それにもかかわらず、神様は共にいてくださり、彼はそこで忠実に仕えました。その結果、その家全体が祝福されました。

創世記 39:8, 9 "ヨセフは拒んで、主人の妻に言った、「御主人はわたしがいるので家の中の何をも顧みず、その持ち物をみなわたしの手にゆだねられました。 この家にはわたしよりも大いなる者はありません。また御主人はあなたを除いては、何をもわたしに禁じられませんでした。あなたが御主人の妻であるからです。どうしてわたしはこの大きな悪をおこなって、神に罪を犯すことができましょう」。"http://bible.us/81/gen.39.8.ja1955
・ヨセフは、主人の妻と関係を持つことも出来たかもしれません。それは彼に有利に働いたかもしれません。しかし、ヨセフは決して誘惑に負けませんでした。

創世記 39:21-23 "主はヨセフと共におられて彼にいつくしみを垂れ、獄屋番の恵みをうけさせられた。 獄屋番は獄屋におるすべての囚人をヨセフの手にゆだねたので、彼はそこでするすべての事をおこなった。 獄屋番は彼の手にゆだねた事はいっさい顧みなかった。主がヨセフと共におられたからである。主は彼のなす事を栄えさせられた。"http://bible.us/81/gen.39.21.ja1955
・ヨセフは、またもや理不尽な扱いを受けました。自暴自棄になっても誰も彼を責めなかったでしょう。しかし、ヨセフは牢獄という最低の場所でさえも、忠実に仕えました。その結果、牢獄で「祝福」となったのです。そんな所に祝福があるなどと、誰が発想するでしょうか。
創世記 40:7 JA1955
"そこでヨセフは自分と一緒に主人の家の監禁所にいるパロの役人たちに尋ねて言った、「どうして、きょう、あなたがたの顔色が悪いのですか」。"http://bible.us/81/gen.40.7.ja1955

・顔色が悪いことが人目でわかったのは、ヨセフが誠実に彼らの世話をしていたからでしょう。そういった洞察力は、自己中心な生き方をしている人には到底身につくものではありません。
ヨセフが彼らの異変に気付いたからこそ、夢の解き明かしがあり、未来へのドアが開きました。

創世記 40:14, 15 "それで、あなたがしあわせになられたら、わたしを覚えていて、どうかわたしに恵みを施し、わたしの事をパロに話して、この家からわたしを出してください。 わたしは、実はヘブルびとの地からさらわれてきた者です。またここでもわたしは地下の獄屋に入れられるような事はしなかったのです」。"http://bible.us/81/gen.40.14.ja1955・ヨセフは、夢を解き明かした給仕長に、釈放されたら、パロ(王、ファラオ)に自分が無実であることを言って欲しいと伝えました。

創世記 41:1 "二年の後パロは夢を見た。夢に、彼はナイル川のほとりに立っていた。http://bible.us/81/gen.41.1.ja1955・給仕長はヨセフのことを、二年間も忘れてしまっていました。しかし、ここに神様の「タイミングの法則」を見ることが出来ます。もし、給仕長が釈放された時にヨセフのことを話したとしても、パロは気にも留めなかったでしょう。ヨセフが一番必要とされた時に、給仕長はヨセフのことをパロに話したのです。
・ここにも理不尽と思える状況の中に、最高のタイミングで働かれる神様の御手を見ることが出来ます。


創世記 41:16 "ヨセフはパロに答えて言った、「いいえ、わたしではありません。神がパロに平安をお告げになりましょう」。"http://bible.us/81/gen.41.16.ja1955
・この時のヨセフは、もう兄弟たちに自分の夢を自慢して回る彼ではありませんでした。パロは当時世界の王とも言える人でした。しきたりに従い、物腰も柔らかになり、口のききかたも熟知していました。そして、何よりも神様に栄光をお返しする円熟さを持っていました。そういう人格が養われるために、すべての時間と環境が必要だったのです。

創世記 41:38-41 "そこでパロは家来たちに言った、「われわれは神の霊をもつこのような人を、ほかに見いだし得ようか」。 またパロはヨセフに言った、「神がこれを皆あなたに示された。あなたのようにさとく賢い者はない。 あなたはわたしの家を治めてください。わたしの民はみなあなたの言葉に従うでしょう。わたしはただ王の位でだけあなたにまさる」。 パロは更にヨセフに言った、「わたしはあなたをエジプト全国のつかさとする」。"http://bible.us/81/gen.41.38.ja1955
・ヨセフは、最悪の牢獄から、一瞬にして最高の地位に登り詰めました。その器になる準備を、神様は着々とされてきました。彼はそれに逆らうのではなく、その場所で忠実に仕えました。
・今日、私達が居るところはもしかしたら、牢獄のような場所だと思っているかもしれません。しかし、神様は真実なお方ですから、必ず引き上げて下さいます。ただし、感情的にならないで、自暴自棄にならないで、神様と人々に仕え、最善の努力をする時にそれが実現します。

【不正な富】
ルカによる福音書 16:8-10 "ところが主人は、この不正な家令の利口なやり方をほめた。この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりも利口である。 またあなたがたに言うが、不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう。 小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。http://bible.us/81/luk.16.10.ja1955"だから、もしあなたがたが不正の富について忠実でなかったら、だれが真の富を任せるだろうか。 また、もしほかの人のものについて忠実でなかったら、だれがあなたがたのものを与えてくれようか。"

・このたとえ話は、まるでイエス様が不正をしてでも、友達を得るように薦めているように見えます。しかし、原語の「不正」という言葉は、「この世の」という意味の言葉です。
私達は、クリスチャンであってもなくても、この社会のシステムの中に生きています。お金を得るために働かなければ、生きていけません。それがここで言う「不正な(この世の)富」のことです。
たとえ話のしもべは、たしかにずるいやり方をしましたが、その富を蓄財するのではなく、結果的には人々の負債を助けるように用いました。
ここでは富は備蓄されるべきものではなく生かして用いるべきことを教えていると考えられています。それによって、しもべは、「友」を得ることができましたし、人々は負債が軽減されて助けられたのですから。

・小さいこと・・・とは、私達がこの世で生きているものすべてのことを示しています。今、私達が任されていることに忠実でなかったなら、もっと大きなことを任されることはありません。
「私は、こんな小さな仕事をしたくない。もっと私には能力があるのに・・・」と誰もが思います。しかし、目の前の仕事も忠実に行わない人を、上司や会社は決して昇進させないでしょう。
ヨセフにも共通することですが、まずは目の前のことについて、誠実に忠実に対処することです。そうすれば、必ずすばらしい結果が待っているのです。


【金持ちとラザロのたとえ】
ルカによる福音書 16:29-31 "アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。 金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。 アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。"http://bible.us/81/luk.16.29.ja1955
・金持ちが黄泉で苦しまないように、自分の親族に伝えてもらうよう、アブラハムに頼んだ時、死人がよみがえっても、彼らは信じないと断言されました。
モーセと預言者・・・とは、聖書のことであり、その知らせのことです。それは、死人のよみがえりよりも力があるというのは、驚きではないでしょうか。私達が内側に持っている良い知らせは、それほどに人々を救う力があることを覚えましょう。

今日も、私達は目の前にあることを忠実に行っていきましょう。明日は礼拝です。神様に心からの礼拝をささげましょう。
すばらしい週末となりますように。