みなさんおはようございます。
本日の聖書箇所は、創世記42〜43章、詩篇5篇、ルカ17章 です。
明日の聖書箇所は、創世記44〜46章、ルカ18章です。
【ヨセフ、兄弟たちの話を聞いて泣く】
創世記 42:22-24 "ルベンが彼らに答えて言った、「わたしはあなたがたに、この子供に罪を犯すなと言ったではないか。それにもかかわらず、あなたがたは聞き入れなかった。それで彼の血の報いを受けるのです」。 彼らはヨセフが聞きわけているのを知らなかった。相互の間に通訳者がいたからである。 ヨセフは彼らを離れて行って泣き、また帰ってきて彼らと語り、そのひとりシメオンを捕えて、彼らの目の前で縛った。"http://bible.us/81/gen.42.22.ja1955
・ルベンたちは、過去にヨセフをエジプトに売った罪について、ずっと罪責感を抱いていたに違いありません。ヨセフは目の前で、自分の兄弟たちがその話をするのをどんな気持ちで聞いていたのでしょう?間違いない事実は、彼はそれを感情に現すことなく振る舞うことができる思慮深さと自制心を備えていたことです。それは驚くべき成熟さではないでしょうか?
【ユダ、ベニヤミンの身の安全を、父親に保証する】
創世記 43:8, 9 "ユダは父イスラエルに言った、「あの子をわたしと一緒にやってくだされば、われわれは立って行きましょう。そしてわれわれもあなたも、われわれの子供らも生きながらえ、死を免れましょう。 わたしが彼の身を請け合います。わたしの手から彼を求めなさい。もしわたしが彼をあなたのもとに連れ帰って、あなたの前に置かなかったら、わたしはあなたに対して永久に罪を負いましょう。"http://bible.us/81/gen.43.8.ja1955
・ユダは、かつて「ヨセフを売ろう」と言った人物です。その彼が、ヨセフの弟であるベニアミンの身の安全を保証するというのは、彼の罪責感から来ているのかもしれません。
詩篇 5:1-3 "主よ、わたしの言葉に耳を傾け、わたしの嘆きに、み心をとめてください。 わが王、わが神よ、わたしの叫びの声をお聞きください。わたしはあなたに祈っています。 主よ、朝ごとにあなたはわたしの声を聞かれます。わたしは朝ごとにあなたのためにいけにえを備えて待ち望みます。"
・神様は、私達の言葉、嘆き、叫びに耳を傾け御心にとめてくださるお方です。主に信頼し、真実な祈りをささげましょう。
ルカによる福音書 17:17-19 "イエスは彼にむかって言われた、「きよめられたのは、十人ではなかったか。ほかの九人は、どこにいるのか。 神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか」。 それから、その人に言われた、「立って行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのだ」。"http://bible.us/81/luk.17.17.ja1955
・十人のツァアラトの人が癒されたにもかかわらず、イエス様のところに感謝するために戻ってきたのは、サマリヤ人の一人だけでした。
神様に願っておきながら、それが実現した時に、「これは神様への祈りの答えだ」と認識できないことがあります。また、そのことに感謝するという発想がないこともあります。
信じて祈るなら、神様は祈りに応えてくださいます。私達はその答えを受け取る時、神様を賛美し礼拝する者でありたいと思います。
ルカによる福音書 17:21 "また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。"http://bible.us/81/luk.17.21.ja1955
・神の国は、私達の内側にあります。聖霊が私達の内側に住んでいてくださり、平安となり祝福となってくださいます。
・恐れや不安を追い出してしまいましょう。そして、静かに神様と語る時を持ちましょう。私達の内側に神の国があるとすれば、それが外側に現れてくることでしょう。そのことは、多くの人々の祝福となります。