2016年3月23日水曜日

本日の聖句 - マタイによる福音書 20:28







2016年3月23日
本日の聖句
メシヤ(救い主)のわたしでさえ、人々に仕えられるためではなく、みんなに仕えるためにこの世に来たのです。 そればかりか、多くの人の罪の代償として自分のいのちを与えるために来たのです。 だからあなたがたも、わたしを見ならいなさい。」 
マタイによる福音書 20:28 JLB


みなさんおはようございます。

今週は、イエス様が十字架にかかられた受難週です。

【メシヤ(救い主)のわたしでさえ、人々に仕えられるためではなく、みんなに仕えるためにこの世に来たのです。】
多くの人々が、他の人々から仕えてもらうような地位につきたいと願います。
しかし、イエス様ご自身が仕えられるためではなく、仕えるために来られました。

【そればかりか、多くの人の罪の代償として自分のいのちを与えるために来たのです。】
それが最も現れたのが、十字架なのです。
イエス様は、すべての人々のために、最も低い立場で仕えられ、いのちを捨てられるほど愛されたのです。
つまり、「仕える」ということは、「愛する」ということがもとになっているのです。

【だからあなたがたも、わたしを見ならいなさい。】
仕えるという態度だけを見習うのではなく、まず心の態度を見習うことが大切なのです。
それは、人々を愛するからこそ仕えることを意味しています。

明日は聖餐式が行われた木曜日です。イエス様と弟子たちの十字架前の最後の晩餐です。
そのことを覚えつつ、主と深い交わりを持ちましょう。

2016年3月21日月曜日

親指シフトキーボードのこと1

少し、備忘録的に牧師とは関係のないいろんなことを書いてみようと思います。
今日は、「親指シフトキーボード」について。

就職した1983年の年か、その次の年に、私が勤めていた某製粉会社の企画室に「ワープロ」が導入されました。
それは、OASYS100という機種で、当時100万円以上していたと思います。
室長の至上命令で、「出来るだけ早くこれを使いこなせるようになれ!」と私ともう一人の企画室員が学ぶことになりました。

富士通からインストラクターが来られて、毎日の猛特訓が始まりました。このワープロが私の「親指シフター」としてのスタートとなりました。

親指シフトキーボードは、日本語のためだけに作られた配列で、一つのキーに二つの日本語が配列されます。そして左右の「親指シフト」と一緒に打鍵することにより、効率的に日本語が打てるようにしたものです。

たとえば、多くの人々が使っているローマ字入力だと、「ば」と打つのには、bとaの二つのキーを別々に打鍵します。つまり2ストロークです。
けれども、親指シフトでは、右親指シフトと左人差し指で「は」を同時に打鍵する1ストロークとなります。
また、「しゃ」の場合は、ローマ字入力ではsyaと3ストロークですが、親指シフトでは左手薬指で「し」と左親指シフトと人差し指で「ゃ」の2ストロークとなります。

理論的には、ローマ字入力に比べ2倍近い早さで打てることになります。

このキーボードはとても優れていたので、とても重宝しました。
周囲にも親指シフトを勧めました。
しかし、時代の流れでどんどんと消え去って行ってしまい、今では化石のようになっているのかもしれません。

私はそれからWindows3.1→95などと、PC路線でしたが、その間もデスクトップの時には、富士通の親指シフトキーボードを購入して使用したり、「親指ひゅん」や「Japanist」というソフトを入れて、キーボードをソフト的に変えてしまうようにして使ってきました。

Macに変えてからも、親指シフトを使い続けていますが、OSの更新の度に苦労してきました。今使用しているのでは、Karabinerというソフトです。

一見、普通のキーボードなのですが、他の人が触ると全く違う文字が出てくるので、驚かれています。

最近、Facebookで親指シフターのグループページがあることを知り、加入しました。今までよりも多くの情報が得られて感謝しています。

https://www.facebook.com/groups/oyayubishift/


本日の聖句 - ヨハネによる福音書 12:13 棕櫚の聖日

「それ、イエス様をお迎えしろ」と、手に手にしゅろの枝を振りかざして駆けつけます。 沿道はたちまち人の波、波、波……。 あちこちで大歓声が上がります。 「救い主様ーっ! イスラエルの王様ばんざーいっ! 神の大使ばんざーいっ!」 
ヨハネによる福音書 12:13 JLB


みなさん、おはようございます。
今日は、棕櫚(しゅろ)の聖日です。今日から受難集(イエス様が十字架にかかられる週)になります。
イエス様は、人々に王としてエルサレムに迎えられます。
預言通り、ロバの子に乗って入城されました。
その時起こったことが、今日の御言葉です。
「イスラエルの王ばんざーいっ!」というのは「ホザナ」という言葉の訳です。
人々は、しゅろの枝を振りかざして、歓迎しました。
そして、その中の多くの人々が木曜日には、イエス様のことを「十字架にかけろ!」と叫ぶのです。

人々の評判や評価というのは、移ろいやすいものです。今日、認められていても、明日否定されることは良くあることです。
もし、私達が人々の評価や評判に人生の土台を置いているなら、嵐がやってきた時にすべてを失うばかりか、それに殺されてしまうでしょう。
イエス様はそんなことはなさいませんでした。天の父から与えられた使命(十字架による人類の救済)に向かって、まっすぐに進まれたのでした。
パウロも、「好評を博しても、そうでなくても」と態度を変えませんでした。

今日、私達は神様に「ホザナ!」と礼拝したいと思います。そして、そのイエス様の生き方に従っていきたいと思います。


みなさんと礼拝でお会いすることを楽しみにしております。

2015年6月14日日曜日

ペテロの第一の手紙 1:24-25 主のことばはいつまでも変わりなく続く






2015年6月14日
本日の聖句

生まれながらの古いいのちは、枯れてしまう草のようです。 どんな栄誉も、やがてはしぼみ、散っていく花と同じです。  しかし、主のことばは、いつまでも変わりなく続きます。 これこそ、あなたがたへの良い知らせです。 
ペテロの第一の手紙 1:24-25 JLB


みなさんおはようございます。
今日の箇所は新改訳聖書では、
1:24 「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。
1:25 しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。
とあります。

【世界が求めているものの最後】
世界中の人々が、栄誉、いのち、栄光と富、などを求めています。
けれども、古いいのちは、枯れてしまう草のようだと書いてあります。
「やがてはしぼみ、散っていく花と同じです」

それらは、一時的には美しく、すばらしいのですが、そこに最大の価値を置くと失望することになります。

【主のことばは、いつまでも変わりなく続く】
主のことばとは、文字通りのことばだけではなく、そのことばの内容が続くということです。
神様が私達を愛しておられること、私達のためにすばらしい人生をご計画し、良いものを与えてくださること、さまざまな約束が「いつまでも変わりなく続く」のです。

私達は、今日希望をもって目を上げたいと思います。
いつまでも揺るぐことのない神様に信頼しましょう。

今日は、午後二時から横田ICAで礼拝を行います。
みなさんとお会いできることを楽しみにしております。


東京メトロチャーチ 林 幸司

2015年4月11日土曜日

キリストのことばを豊かに住まわせ、互いに教え、戒め、賛美する






2015年4月11日
本日の聖句

キリスト様の教えを心にとめ、そのことばによって、人生が豊かに潤されるようにしなさい。 知恵を尽くして、そのことばを互いに教え合い、忠告し合い、感謝にあふれて、詩篇と賛美歌と霊の歌を、主に向かって高らかに歌いなさい。 
コロサイ人への手紙 3:16 JLB


みなさんおはようございます。

今日も冷たい雨の日ですね。毎日の気温の変化に、体調を崩しておられる方もおられると思います。
イエス様が癒して下さいますよう、お祈りいたします。

新改訳3:16 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。

【キリストの教えを心にとめる(豊かに住まわせる)】
この世界には、様々な教えがあります。私達の核になる部分は、小さい時から教えられてきた部分で成り立っていると言えます。だからこそ、教科書問題など、「何を教えるか?」ということが国家間の問題になるほどなのです。

クリスチャンホームで育たなかった私は、小さい頃のキリスト教的ではない教えが残っています。
そんな人は特に、キリストの教えを豊かに住まわせるために、御言葉のシャワーを浴びなければならないと思います。

それも、洗脳的にではなく、しっかりとした意識と知性、理性を働かせて聖書に親しむ必要があります。
そうするなら、昔から培われてきた価値観や考え方の中で、良いものは残し、特に否定的なこと、自己憐憫的なこと、自信を失わせたり、存在価値を疑わせるようなことから解放されていきます。

【互いに教え合い、忠告し合う】
一方が他方を一方的に教えるのではなく、私達は教え合い、忠告し合う共同体(教会)としてデザインされています。
それも、「私の考え」というのではなく、キリストの教えを教え合う時に、それが最も有益となります。
現代社会では、忠告することはなるべく避けたいことだと思います。
けれども、ある時には、愛によって心からその人に直面しなければならない時があります。
その前に、土台となる信頼関係を違いに築いておかなければならないことは、言うまでもありません。

【詩篇と賛美歌と霊の歌を、主に向かって高らかに歌う】
詩篇と文字通り旧約聖書の詩篇、賛美歌は当時の初代教会で歌われていた賛美の歌だと言われています。そして、霊の歌は聖霊によってその時に与えられるメロディに乗せた祈りと言うことが出来ます。

キリストの教えを豊かに住まわせる→教え合い、忠告し合う→賛美する
という流れは、本当にすばらしいと思います。そういうことが、日常的に私達の教会でも行われていると信じます。

その場を去るとき、賛美と感謝の思い、新しい知恵と豊かな心をもって、社会に出て行くのです。

私達は今日の御言葉のように、お互いに高め合い、神様を賛美する共同体としてこの世界にキリストの光を提示する存在になりたいと思います。

2015年3月13日金曜日

神様を愛し、ご計画どおりに歩む






2015年3月13日
本日の聖句

そして私たちは、神様を愛し、神様のご計画どおりに歩んでいるなら、自分の身に起こることはすべて、益となることを知っているのです。 
ローマ人への手紙 8:28 JLB

みなさんおはようございます。

今日の聖句は、みなさんに覚えていただきたい箇所です。
ローマ828と覚えやすい箇所です。
新改訳聖書では、
8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
とあります。

【すべてのことを働かせて益としてくださる】
リビングバイブルで抜けている「すべてのことを働かせて」という言葉が他の聖書訳にはあります。
「自分の身に起こることはすべて、益となる」というのは少し正確ではなく、「それらを全部働かせて、結果的には益にしてくださる」という理解が正しいと思います。

私達の人生には、喜ばしくないこと、苦しいことも起こります。その時にはそれが「益だ」なんて、とても思えません。
けれども、神様はそのことが起こることも許されました。それを受け入れ、神様に従っていくなら、「益となる」と言われた意味が分かるときが来ます。

【神様を愛し、ご計画どおりに歩む】
私達は、神様を愛しています。けれど、ご計画どおりに歩むということが、良くわからないことが多いでしょう。
どうしたら、それが分かるのでしょうか?
1.神様のみことば、聖書と調和している
2.選択や決断をする時に、神様からの平安がある
3.他の人々(特にあなたが尊敬する人々)が、支持してくれる、サポートしてくれる
4.たとえ、思った結果にならなかったり、すぐに結果が出ないで、忍耐の時を送ることになったとしても、神様を信じ続ける事が出来る
などでしょうか・・・

【完全主義に陥らない】
一方で、私達は完全主義に陥る必要はないと思います。神様は「箸の上げ下げ」まで導かれるのではないからです。
天の父なる神様は、私達が喜んで、幸せに、平安で使命感を持って生きることを願っておられます。
そんな子供達を、「コントロールしたい、掌握したい」とは思われないのです。
一つ一つのマイルストーン(一里塚)をちゃんと通っていれば、ご計画の道を歩んでいる・・・くらいに、少しアバウトになってもいいのではないか?と思います。
あまり突き詰めると、苦しくなってしまいますから・・・。

今日は、「アバウトに生きる日」というのはいかがでしょうか?もともとアバウトな人は、「神様のご計画を改めて考える日」というのは?

主の祝福と平安、すべてを益にしてくださる神様に期待しましょう。

東京メトロチャーチ 林 幸司

2014年12月1日月曜日

20141201そのうち、神様がすばらしいことをしてくださり、私は賛嘆の声をあ げ るに決まっている!

今日は、いつもメトロの皆さんにお送りしている、御言葉メールを掲載します。
                 
2014年12月1日

本日の聖句

しかし、私のたましいよ、気落ちするな。 動転するな。 神様はきっと乗り出してくださる。 そのうち、神様がすばらしいことをしてくださり、私は賛嘆の声をあげるに決まっているのだ。 このお方こそ、私のいのち綱。 私の神なのです。 
詩篇 42:11 JLB
みなさん、おはようございます。

昨日は、横田ICAで恵まれた礼拝の時を持つ事ができました。

さて、今日から12月に入りました。
私たちは、神様の奇跡を体験する月として、この一ヶ月に期待して行きたいと思います。

この箇所は、新改訳では、
「わがたましいよ。
なぜ、おまえはうなだれているのか。
なぜ、私の前で思い乱れているのか。
神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。
私の顔の救い、私の神を。」
と訳されています。

ダビデは、自分の内側にある魂に、まるで別人であるかのように、呼びかけています。
感情が嵐のように混乱していても、信仰と理性を働かさせて、それを押さえ込み、うなだれている魂に訴えているのです。

私たちの日常にも嵐がやってきます。その時、どんな対応をするかは、本人にしか決められません。

感情に任せてますます混乱するなら、もっとひどい嵐へと突入することでしょう。

一方で、嵐の中に垣間見える灯台の光のように、理性の中にある信仰を見つけ出して、魂に「神を待ち望め!」と命じるなら、
「そのうち、神様がすばらしいことをしてくださり、私は賛嘆の声をあげるに決まっているのだ。 このお方こそ、私のいのち綱。 私の神なのです。」
と告白で出来るようになり、嵐から解放されるのです。

あなたは、どちらを選択しますか?
今日も信仰を働かせましょう!

東京メトロチャーチ林 幸司

2014年11月7日金曜日

本日の聖句 - テモテヘの第一の手紙 2:5-6

みなさんこんにちは。

2014年11月7日

本日の聖句

その真理とは、こうです。 神と人間とは、それぞれ別の岸に立っています。 そして、人となられたキリスト・イエスがその間に立ち、ご自分のいのちを、全人類のために差し出すことによって、両者の橋渡しをされたのです。 これこそ、神様が時にかなって私たちに示された教えにほかなりません。  この真理を外国人に教え、救いは信仰によって与えられるという、神様の計画を伝えるために、私は宣教者また使徒として選ばれました。 これは、うそ偽りのない真実です。  そこで勧めます。 男は、罪を犯したり、怒ったり、恨みをいだいたりせずに、どこででも、きよい手を上げて祈りなさい。  同じように、女も、控え目な服装や態度で、品位を保つように心がけなさい。 クリスチャンの女性は、はでなヘアスタイルや宝石や高価な着物によって人の注意を引こうとはせず、良い行ないとやさしく親切なふるまいによって身を飾りなさい。  女は、物静かに、謙そんな心で教えを聞き、また学ぶべきです。
テモテヘの第一の手紙 2:5-6 JLB
今日のIテモテ2:5〜6のリビングバイブル訳を見ると、「そんな箇所があったかな?」と思うほど、新改訳とは違います。

2:5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。

2:6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。というのが新改訳です。また10節までも含まれているようです。

2:7 そのあかしのために、私は宣伝者また使徒に任じられ‐‐私は真実を言っており、うそは言いません‐‐信仰と真理を異邦人に教える教師とされました。

2:8 ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。

2:9 同じように女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、

2:10 むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行いを自分の飾りとしなさい。最初の部分を見ると、ある図を思い出します。それは、私達の教会でよく用いている「橋の図」です。

私達と神様との間には、深い溝があり、行いや哲学、宗教や努力では超えることが出来ません。

けれども、イエス・キリストが十字架にかかり、私達の為に死んで下さったことにより、そこに道が備えられ、私達を愛してやまない天の父なる神様につながることができるようになります。

そのために必要なことは、ただ一つ。イエス・キリストを救い主として信じることです・・・というものです。

「イエス・キリストは、ご自分のいのちを、全人類のために差し出すことによって、両者の橋渡しをされたのです」というのが、その内容です。

そして、この手紙を書いているパウロは、その宣教者、使徒として選ばれました。これは、彼が自分の人生の目的と使命をはっきりと確信していたことを表しています。

次は現代社会では問題になる箇所でしょう。男女差別のように思われるからです。けれども、これは男女の役割の差、性質の差ということも言えるのではないかと思います。

男性は、家庭を持っているとは限りませんが、ここでは家庭のリーダーとして、怒らず、恨みをいだかずに、手を挙げて祈るよう教えています。

もし、夫であり父である人がそのようであれば、妻も子供も安心することでしょう。

女性には、品位と親切で優しいふるまい、謙遜な心が求められています。

当時の女性には、特に学ぶチャンスが男性よりも少なかったという背景もあるかもしれません。(現代でもその傾向はありますが)

ここでパウロが言いたかったのは、男女差別ではなく、救いを受け入れ、キリストの証人としてすばらしい歩みをするための秘訣だと言えると思います。

今日の、みなさんの歩みの上に、それぞれの立場に応じた役割が、主から教えられ、「あなたらしい」生き方が与えられますように。

東京メトロチャーチ 林 幸司

2014年11月6日木曜日

20141106 今日の御言葉 箴言15:31-32


2014年11月6日

本日の聖句

ためになる批判をどんどん取り入れるのは利口な人です。 耳の痛いことを喜んで聞かないと、自分をだめにします。  神様を恐れ、謙そんに生きる人は知恵を身につけ、人からもほめられます。
箴言 15:31-32 JLB
みなさんこんにちは。

新改訳聖書では、
「15:31 いのちに至る叱責を聞く耳のある者は、知恵のある者の間に宿る。
15:32 訓戒を無視する者は自分のいのちをないがしろにする。叱責を聞き入れる者は思慮を得る。」

との言葉に訳されている箇所です。

「いのちに至る叱責」→「ためになる批判」、
「知恵のある者」→「利口な人」、
「訓戒」→「耳の痛いこと」、
「自分のいのちをないがしろにする」→「自分をだめにします」、
「叱責を受け入れる者」→「神様を恐れ、謙そんに生きる人」
という具合に比べてみると、「なるほどなあ」と納得しやすいのではないでしょうか?

私達は、他人を見て叱責したり批判したりしたくなることがあります。

「あなたのためだから」と本当に思っているなら良いのですが、そうでない時もあります。

一方で、本当に私達のためを思って、言いにくいことを言ってくれる人がいます。

そういう人に向かって「食ってかかって」ばかりいると、やがては誰も私達に本当の事を言ってくれなくなります。

まるで、「裸の王様」のようになってしまうのです。それが愚かであることは誰でもわかるのに、以外と自分のこととなると、わからなかったりします。

イエス様は、「人の目のちりを取らせて下さいと言っている、あなたの目から梁(丸太ん棒)が出ているではないか」と言われました。

私達を愛して、「ためになる批判」(いのちに至る叱責)をしてくれる人にも、それなりの覚悟がいるのです。そのことを理解するなら、謙遜になって、耳を傾けなければならないこともわかります。

「言われているうちが花」なんですよね・・・・

そういう信頼関係が構築されると、私達は周囲の人々の助言によって、どんどんと成熟し、賢くなっていくのです。

最近、ためになる批判をされたなら、自分が正しく応答できたか顧みましょう。

もしそうでなかったなら、熟考してその人に感謝を表し、アドバイスを受け入れるべきかもしれません。

身近な人の言うことほど、私達は受け入れにくいものだったりします。

愚かで高慢な人にならないで、賢く謙遜な人になりましょう。

そういう人は、「知恵を身につけ、人からも誉められる」のですから。

東京メトロチャーチ 林 幸司

2014年11月5日水曜日

10141105今日の御言葉 ローマ12:1




2014年11月5日

本日の聖句

愛する皆さん。 そういうわけですから、あなたがたにお願いします。 自分の体を神様にささげてください。 それを、神様に喜んでいただける、生きた、きよい供え物としてください。 神様がしてくださったことを思えば、これは、決してむりな注文ではないはずです。 
ローマ人への手紙 12:1 JLB

みなさんおはようございます。
今日は、ローマ12:1です。この御言葉は、私自身の人生の課題・目標であるとも言える箇所です。
多くの人々が、「どうやって多くのものを得るか?」と悪戦苦闘して生きています。けれども、聖書の神様の生き方は、「どれくらいささげることができるか?手放すことができるか?」というものです。
たとえば、私達が毎日いらいらすることにはどんなことがあるでしょうか?「自分は持っていないのに、あの人は持っている」「自分には出来なかったのに、あの人には出来ている」ということも含まれるでしょうか?
もしそうなら、私達は「自分には全く関係の無いこと」にイライラしていることになります。なぜなら、その人の人生と私の人生は、全く別のものですし、神様は別のご計画を持っておられるからです。
もし、そのような「こだわり」を捨てることが出来たら、そして祝福されている人を見て、心から喜ぶことが出来たら、どんなにすばらしいでしょう?!「でも、そんなことをしたからといって、私の状況が改善されるわけではない」と思われるかもしれません。
しかし、それは事実ではありません。神様は、そういう「ささげている」私達を喜んで下さり、豊かな祝福の中へと導いて下さるからです。
この箇所では、「こだわり」だけではなく、私達のからだすべてを神様にささげなさいと「命令」されています。そして、「神様がしてくださったことを思えば、これは、決してむりな注文ではないはずです」とあります。イエス様が、私達のためにすべてをささげてくださったことを思えば、私達が自分自身を神様にささげ、委ねることは合理的なことなのです。

今日、試しに一つのことをささげてみませんか?先ほどの「こだわり」でもいいですし「神様に時間をささげる」ことでもかまいません。一気にすべてを完全に・・などと考えないで、私達の人生はささげ続けることが続いていくと考えるのはどうでしょう?

今日、心の中のもやもやした部分が、「ささげる」ことを通して、秋晴れの真っ青な空のようになりますように。

昨日は、総務部会で教団本部でした。教団総会が来週火曜日から行われるため、私は月曜日から木曜日まで駒込に滞在します。教団のこれからが決められる総会のためにお祈り下さい。

今度の日曜は国立さくらホールでの礼拝(午前10:30〜)です。お間違えないようにしてください。

祝福が豊かにありますように。

東京メトロチャーチ 林 幸司

2014年9月11日木曜日

会堂、その後、「クレスト・ショック!」

ご存知のように、2013年2月16日(土)に、東京都国立市にあった東京メトロチャーチの会堂の隣家から、火災が発生しました。
その後、東京メトロチャーチは、建物を解体し、新会堂に向けて出発することを決断し、昨年4月からザ・クレストホテル立川を中心に礼拝を行っています。

一年半が経過した今も、国立市の土地は売却できず、次の会堂の候補地も見つかっていないのが現状です。
私達は、もうしばらくクレストホテルでの礼拝を行っていこうと思っていました。

ところが・・・・

先日9月7日(日)、クレストホテル側から「来年3月末でホテルを閉じ、全面リニューアル工事をすることになりました」というお知らせをいただきました。

私達は、そのことに驚きましたが、不思議と神様からの平安がありました。私も家内も、数日前に祈っていた時に、心の中に同じような感覚があったからです。

それは、
「近い将来、大きな変化が起こるが、驚く必要はない」という感覚です。

そのことを話し合った時、不思議な一致に驚きました。そして、「何が起こるんだろうね」と話し合っていたところでしたので、ホテルからそのことを言われた瞬間、「これだ!」と思いました。

私達は、Project2014というビジョンをもって、7年間祈ってきました。
その内容は、
・2014年に新会堂に移る
・その前に、会堂に関する負債を完済する
というものでした。

それがあったからこそ、火災への対処も、解体も、土地売却も、選択してきたのです。
ここで、立ち止まるわけにはいかない・・・ということを、神様から後押しされた感じです。

これから私達は、どこへ行くのか・・・どこへ導かれるのか・・・神様に信頼して、一歩一歩歩んでいこうと思います。
東京メトロチャーチのために祈ってくださっているみなさん、本当にありがとうございます。
引き続きお祈りくだされば感謝です。

2014年6月28日土曜日

東京都議会でのヤジに思う

2014年6月18日に起こった、東京都議会での塩村議員の質問中でのヤジは、日本だけではなく、世界17カ国のメディアでも取り上げられた。
興味深いのは、日本のメディアと海外のメディアでは、問題意識が大きく違ったことである。海外では、「セクシャルアビューズ」(性的虐待)として取り上げたメディアもあった。
慌てた日本のメディアは、それに対応する形で、これが女性の人権に関するものであることを、少しだけ取り上げるようになった。
CNNの記事は、私自身の感覚に近いものである。
http://www.cnn.co.jp/world/35049729.html

 その後、自民党の鈴木章浩議員が自分が言ったことを認めた。その朝には、「自分ではない」と言い、事件の直後には、「そういう議員はやめるべきだ」とまで言った鈴木議員。実際には、会派離脱しただけで、議員を続けていくと宣言した。
http://www.cnn.co.jp/world/35049839.html

 私達は、その動きを大変興味深く観察していた。夫婦の間でも、何が起こっているのかということについて話し合った。
 そこで見えてくるのは、日本社会の中に厳然と存在している女性蔑視の考え方だ。私達は、牧師として活動しているので、日々のオフィスで起こっているであろうセクハラやパワハラには出くわすことは無い。しかし、この事件を通してどれだけ多くの女性達が、今回の事件に象徴される扱いを受けてきたかを想像して、心がうずいた。

 私達に何が出来るのだろう。何をすべきなのだろう?
聖書には、「妻は夫に従いなさい」とある。しかし、その直後に「キリストが教会を愛したように、夫は妻を愛しなさい」ともある。もし、夫が命がけで妻を愛しているなら、夫に従う(原語では、「尊敬する」という意味)のではないか?この言葉は、決して男尊女卑を、聖書が勧めているのではないと考えている。しかし、女性を支配したい人々にとって、これは都合の良い言葉である。
 イギリスのダイアナ妃は、チャールズ皇太子との結婚式で「従う」という言葉を削除するように主張したという。それはもしかしたら、自分が命がけで愛されないことを知っていたからかもしれない。


 鈴木議員の「早く結婚しろ」のヤジは「少子化・晩婚化の中で、結婚していただきたい思いがあのような発言になった」と鈴木氏は釈明した。幼稚園生でも言わないような見え透いた釈明だ。もし、彼がこの問題の本質を理解していたなら、たとえばこう釈明しただろう。「私は今まで、女性の人権について軽視してきました。今回の発言は、女性全体に対する大きな侮辱であり、人権侵害であることを認め、心から謝罪いたします。ヤジを言ったという事実だけではなく、私の心の中に、そのような間違った意識があったことに、私は気付かされました。私は議員を辞職し、心を入れ替えて、一から女性だけではなく、人々の人権と尊厳について学ぶつもりです。本当に申し訳ありませんでした。」
そういう言葉を聞きたかったと思う。

 私達が日本社会にインパクトをもたらすことが出来るとするなら、それは私達家族や教会全体が、良いモデルになることではないだろうか。良いモデルとは何か?私自身もまだまだ学ばなければならないことが山積みであることを痛感した。

 

2014年2月8日土曜日

プチ雪かき

雪国の方々からすれば、ほんの数㎝の雪はなんでもないのですが、首都圏は大混乱です。

家の周囲を一度目の「プチ雪かき」しました。凍らないうちに、夕方までにもう一度雪かきしようと思っています。

それにしても、「雪が降っているので、手袋と帽子をつけて、足下には気をつけて」というニュースのアナウンスにはびっくりしてしまいます。

女性がパンプスで歩くなんてことは、富山の冬には絶対になかったので、普通の靴で歩いている方々をニュースで見て、その勇気(?)はすごいなあ・・・と思います。

二十年に一度の大雪になるそうで、明日の礼拝が心配です。

みなさん、転ばないようにお気を付け下さい。