2010年7月13日火曜日

回復の喜び#56レッスン12 告白する1-2

みなさんおはようございます。

昨日は、一日お休みをいただきました。二ヶ月ぶりのお休みでした。
ちょっと、このところのスケジュールは、異常でした。

さて、先日の日曜日には、「善意のバトンを渡す」というお話をしました。
ルカ 6:31自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。
私達の周囲に広がる世界。それは、私達に何を期待しているのでしょう?
なぜ、私達は今この時代に生かされているのでしょう?
神様は、その目的と使命を私達に与えておられる・・・それを理解しましょう。

それは、「キリストの証人」として生きることであり、神様と人々を愛して生きることでもあります。
「自分自身」から始めると、私達の世界は小さくなってしまいます。
けれども、「神様から」「世界から」考えると、私達が不可能と思える領域にまで、善意のバトンを渡すことができるようになると信じます。

最後に、ペイ・フォワードという映画の一シーンを見ていていただいて、お話を閉じました。
それは、ある男の子の母親が、自分の母親(男の子の祖母)を赦すというシーンです。
母親も、その母親もアルコール中毒でした。でも、善意をもらった人に返すのではなく、前へ(フォワード)渡して行くというチャレンジを子どもから受けて、母親を赦すという行動に出たのです。

私達にも、この世界にできる奇蹟があります。
自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしてみましょう。

そのためにも、今日のレッスンは必要です。
私達が人々を裁いている限り、また自分自身を裁いている限り、私達は一歩も世界に向かって歩み出すことはできないでしょう。

罪を告白して、「主よ、私はこういう罪人なのです」と言える人は、真の意味で強い人だと思います。
その強さを、神様は応援してくださるのです。

今日も、いさぎよく、また愛をもって行きて行きましょう。

【回復の喜び レッスン12 告白する1-2】

●神の導きに従う(Obey God's directions)

原則4で言われていることは、要するに「神の導きに従って、罪を告白する」ということです。

1)私たちは、自分の罪を神に告白します。

「『主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、私の前にひざまずき、すべての舌は神をほめたたえる。』こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。」ローマ14:11-12審改訳

2)私たちは、自分の罪を他の信頼出来る人に告白します。

「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。」ヤコブ5:16新改訳

●罪責感からの解放(No more guilt)

このステップは、私たちの自信と人間関係を回復させ、「後ろ向きの人生」からの脱皮を可能にします。ローマ8:1にある通り、私たちは「キリストのうちにある者が罪に定められることはない」と確信しています。

「すべての人は罪を犯しました。・・・・けれども、もし私たちがキリスト・イエスを信じきるなら、神さまは私たちを『罪の無い者』と宣言してくださいます。・・・・このキリスト・イエスが、恵みにより、無償で私たちの罪を帳消しにしてくださるからです。」ローマ3:23-24TLB

罪の告白について神の指示に従うことにより、告白の「酷(告)CON」な作業は終わりました。神の御前で罪を「吐く(白)FESS」ことによって、以下の4つの素晴らしいことが起こってきます。」

(ジョン・ベーカー著「回復の喜び」より抜粋)

【本日の聖書通読箇所】
一年コース ◆ 詩篇7-9 ◆ 使徒18
三年コース 士師記16章、Iテモテ4章

【デイリーブレッド】
http://rbcjp.info/odb/201007/day8.html