2010年7月20日火曜日

回復の喜び#59レッスン13 認める1-1

みなさんおはようございます。

今日は、とてもよい天気で暑くなっている東京ですが、西日本の各地では豪雨で被害が出ています。
みなさんのご実家は大丈夫でしょうか?

今日のレッスンは、「自分の過ちを、他の人の前で認める」ということについてです。
それは、かなり抵抗感のあることだと思います。
自分自身一人でさえ、過ちを認める事は難しい事ですが、聖書は一歩進んで「他の人の前で告白する」というプロセスを大切にします。
同じように聖書は、過ちを認める事だけではなく、イエスを信じて心に受け入れるときにも、大切な祈りをする時にも「人の前で告白する」ことが重要視されます。
それは、私達一人だけでは、「あれは何かの間違いだった。一時の衝動だった」と思ってしまうことにも原因があるかもしれません。

私達は、一人だけでは生きて行けません。罪の赦しを受け入れる時にも、信頼する方と共に祈る事が重要です。
人生の中で、そんなことを言える相手には、なかなか会えるものではないかもしれません。
しかし、キリストのからだである私達は、霊的な家族としてそのような信頼関係を構築できるようになると信じます。
受け止める側も、その人の秘密を守り、裁く事無く祈り支える事が求められます。

そんなすばらしい関係が、私達の内に成長するようになることを信じます。
今日、私達の人間関係が、もう一歩深まるような出来事が起こりますように。

【回復の喜び レッスン13 認める1-1】

考えてみましょう
どうして自分の過ちを他の人の前で認めなければならないのかという質問をよく受けます。それには主に3つの理由があります。
●なぜ自分の過ちを認めるのか

1.聖書が約束しているいやしを得るため

ヤコブ5:16をもう一度見てみましょう。みことばは私たちに、互いに自分の過ち、罪を認めなさいと教えています。彼らから赦してもらうためにこのことをするのではありません。というのは、神に対して自分の罪と過ちを告白した時に、神はすでにあなたを赦してくださったからです。ヤコブ5:16で互いに罪を告白しなさいと教えられているのは、いやされるためなのです。

 秘密、葛藤、失敗を人に分ち合うことは、神の計画しておられるいやしのプロセスに組み込まれています。回復の道は、一人で歩むようには意図されていません。

(ジョン・ベーカー著「回復の喜び」より抜粋)

【本日の聖書通読箇所】
一年コース ◆ 詩篇16-17 ◆ 使徒20:1-16
三年コース 士師記19章、IIテモテ1章

【デイリーブレッド】
http://rbcjp.info/odb/201007/day16.html