2013年12月1日日曜日

黒か白かではなく

今、関わっている問題を通して、この社会での動きを少しだけ体験した。
普段、私たち牧師は、絶対的真理を追求して生きているわけだが、社会も人間そのものも、そんなに割り切れるものではない。
神は、絶対的なお方であることは、大前提ではあるが、私たち人間の弱さを理解してくださるのだという。
私自身は、黒でもなく白でもない、その間にある様々な色を、どれだけ理解してきただろうか?
そんなことを思いつつ、とにかくは白黒はっきりさせることを、人に求めすぎないことで、自分も赦してもらいながら生きていることを思う。

2013年10月25日金曜日

2013/10/25 火災のその後

多くの皆さんにお祈りをいただいている、火災後の東京メトロチャーチについて、経過をご報告させていただきます。

【6月末で解体は終わりました】
東京都国立市北町にあった私達の会堂は、6月いっぱいで解体がなされ、現在は更地になっています。

【現在の教会の活動】
 4月以降、ザ・クレストホテル立川において、毎週日曜日の礼拝を行っています。機材については、ホテルに置いていただくという特別な扱いをしていただいていて、とても感謝しています。 
 一方で、毎回セットアップと片付けをしなければならず、みんなとても苦労しているのも事実です。何より辛いのは、午後一時半で退室しなければならないことです。会堂があった時には、みんなが一階のスペースや二階の会堂で、いろいろな活動をすることができていましたが、今はそれが出来なくなって半年が経過しました。特にユースにはそれが痛手です。

ケアセルは、紆余曲折もありますが、順調に集まりを続けています。(金曜午後、夜、土曜午前など)みなさん、本当に忠実に、熱心に主に仕えておられる姿に頭が下がります。会場もまちまちで、家だったり、ファミレスだったり・・・とさまざまです。

【これからのこと】
 私達は、7年前からプロジェクト2014という計画を進め、2014年に新会堂を・・・と祈り求めてきました。その中で、今回の火災となり、次の地へ行くことを決断しました。今は、「約束の地」へと向かう「荒野の旅」の最中と言えます。
毎月、2014にちなみ、14日と20日には24時間連鎖祈祷を行っています。
 神様は、ここまで導いてくださいましたから、必ずすばらしい次の土地と建物を与えてくださると信じています。どうぞお祈りください。

2013年8月24日土曜日

8/23(金) 14ヶ月聖書通読222日目 エレミヤ書7~9章、ヨハネ福音書13章

今日の聖書箇所はエレミヤ書7~9章、ヨハネ福音書13章です。
明日の聖書箇所はエレミヤ書10~12章、ヨハネ福音書14章です。

【神様の声に聞き従わない人々】
エレミヤ書 7:25-28 "あなたがたの先祖がエジプトの地を出た日から今日まで、わたしはわたしのしもべである預言者たちを日々彼らにつかわした。 しかし彼らはわたしに聞かず、耳を傾けないで強情になり、先祖たちにもまさって悪を行った。 たといあなたが彼らにこのすべての言葉を語っても彼らは聞かない。また彼らを呼んでもあなたに答えない。 それゆえ、あなたはこう彼らに言わなければならない、『これはその神、主の声に聞き従わず、その戒めを受けいれなかった国民である。真実はうせ、彼らの口から絶えた。"http://bible.com/81/jer.7.25.ja1955
・イスラエル・ユダの人々は、出エジプトの時からずっと神様の声に聞き従わなかったと言われてしまいます。
・その原因の中心は、「強情」だったことがわかります。「神様よりも自分が正しい」と信じる生き方が「強情」なのだと言えます。
・それが神様から見た「強情な生き方」だとすれば、私達も日常生活の中で普通に「強情な生き方」をしているのではないでしょうか?
・神様が、私達にすばらしい導きを与えて下さり、周囲の様々な人々や聖書の御言葉、出来事を通して語っておられるのに、「私の考え、感覚の方が正しい」と判断し選択するのは、「強情」ということはできないでしょうか?
・強情な生き方の先にあるのは、それを分からせようとしてくださる神様が用意される試練であるかもしれません。一日も早く、私達は強情な生き方から離れたいと思います。

【弟子たちを最後まで愛し通されたイエス様】
ヨハネによる福音書 13:1-5 "過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。 夕食のとき、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていたが、 イエスは、父がすべてのものを自分の手にお与えになったこと、また、自分は神から出てきて、神にかえろうとしていることを思い、 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、 それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、
腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。"http://bible.com/81/jhn.13.1.ja1955
ヨハネによる福音書 13:12-17 "こうして彼らの足を洗ってから、上着をつけ、ふたたび席にもどって、彼らに言われた、「わたしがあなたがたにしたことがわかるか。 あなたがたはわたしを教師、また主と呼んでいる。そう言うのは正しい。わたしはそのとおりである。 しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである。 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ。 よくよくあなたがたに言っておく。僕はその主人にまさるものではなく、つかわされた者はつかわした者にまさるものではない。 もしこれらのことがわかっていて、それを行うなら、あなたがたはさいわいである。"http://bible.com/81/jhn.13.12.ja1955
・イエス様は、弟子たちを「最後まで愛し通された」とあります。愛し始めるのは比較的容易なのですが、「愛し通す」のは簡単ではありません。そのことを表すために、イエス様は普通は奴隷が行う行為である「足を洗う」ということをなさいました。
・それは決してパフォーマンスでできることではありません。イエス様は、弟子たちのしもべとなり、彼らもそのようになるようにと、模範を示されたとあります。
・誰が偉いか?といつも争っていた弟子たちが、互いに足を洗うよう、お互いが仕え合うよう、愛し合うようにと、手本を示されました。

【新しい戒め】
ヨハネによる福音書 13:34, 35 "わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。 互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」。"http://bible.com/81/jhn.13.34.ja1955
・イエス様は、旧約聖書の律法に勝る、新しい戒めを与えられました。それは、イエス様が私達を愛されたように(たとえば、足を洗われたように)私達も互いに愛し合うことです。
・今日の私達にとって、愛し合うとは何をすることに当たるでしょうか?主に仕え、人々に仕える時、神様の栄光が表されていくということを信じます。

【ペテロの裏切りについての預言】
ヨハネによる福音書 13:37, 38 "ペテロはイエスに言った、「主よ、なぜ、今あなたについて行くことができないのですか。あなたのためには、命も捨てます」。 イエスは答えられた、「わたしのために命を捨てると言うのか。よくよくあなたに言っておく。鶏が鳴く前に、あなたはわたしを三度知らないと言うであろう」。"http://bible.com/81/jhn.13.37.ja1955
・ペテロは、心の底からイエス様についていきたかったのですが、そこに人間的な限界がありました。その夜、彼はイエス様のお言葉の通りに、三度イエス様を否定するのです。
・私達も、人間的にイエス様についていくことはできません。丁度、種蒔きのたとえで、初めは喜んで受け入れるが「根がないために」枯れてしまう種のようになります。
・けれども、忍耐深く聖霊様によって耕されることを受け入れる人は、「良い地」となって豊かな実を結ぶことができるようになります。
・そのためには、一度イエス様につまずいたり、周囲のクリスチャンに失望するかもしれません。けれども、イエス様は回復されることを待っておられます。丁度、復活の後でガリラヤ湖に行かれて、ペテロたちを待っておられたように・・・

今日もイエス様から目を離さないでいきたいと思います。

日曜日は礼拝です。先週はみなさんにお会いできませんでしたが、明日お会いできることを楽しみにしております。

東京メトロチャーチ 林 幸司

2013年8月2日金曜日

8/2(金) 14ヶ月聖書通読205日目 イザヤ書43〜45章、㈵ペテロ4章

昨年11月から14ヶ月で聖書通読をしようと、試みてきました。二ヶ月のハンディをつけたということですが、そのハンディも使い切ってしまい、後がない状態です(笑)

今日は、その一例をお送りいたします。今日のあなたの一日が、神様の御言葉と愛によって潤される日となりますように。

今日の聖書箇所はイザヤ書43~45章、Ⅰペテロ4章です。
 明日の聖書箇所はイザヤ書46~49章、Ⅰペテロ5章です。

【あなたは高価で貴い】
イザヤ書 43:4 JA1955
"あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、わたしはあなたを愛するがゆえに、あなたの代りに人を与え、あなたの命の代りに民を与える。http://bible.us/81/isa.43.4.ja1955
・新改訳聖書では、「あなたはわたしの目には、高価で貴い」と書かれている箇所です。
・恵美子師は、この御言葉によって神様に立ち返りました。
・私達が自分のことをどんなに卑下しても、自己憐憫に陥っても、神様の私達に対する愛は変わりません。
・神様が私達に対して言われていることばを信じるか、自分自身の感覚を信じるかを選択しなければならないと思います。神様のことばに信頼することが、「信仰」と言えます。
・あなたは、どちらを取るでしょうか?私達が自分の感覚や知識、経験などに頼って生きる時、その先には行き詰まりがあります。神様を信じるなら、新しく広い約束の地が待っています。

【百年以上前に存在を預言される神様】 
イザヤ書 45:1-5 JA1955"わたしはわが受膏者クロスの右の手をとって、もろもろの国をその前に従わせ、もろもろの王の腰を解き、とびらをその前に開かせて、門を閉じさせない、と言われる主はその受膏者クロスにこう言われる、 「わたしはあなたの前に行って、もろもろの山を平らにし、青銅のとびらをこわし、鉄の貫の木を断ち切り、 あなたに、暗い所にある財宝と、ひそかな所に隠した宝物とを与えて、わたしは主、あなたの名を呼んだイスラエルの神であることをあなたに知らせよう。 わがしもべヤコブのために、わたしの選んだイスラエルのために、わたしはあなたの名を呼んだ。あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたに名を与えた。 わたしは主である。わたしのほかに神はない、ひとりもない。あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたを強くする。"
http://bible.us/81/isa.45.1.ja1955
・イザヤがこのことを書いているのは、ペルシャの王クロスが生まれる百年以上前です。
・つまり、影も形もない人物と国を、名前まで挙げて預言したということです。
・神様は、そのように私達のことも生まれる前からご存知であり、私達がイエス様と出会うように導いて下さいました。
・そしてすばらしい人生を歩むようにと、デザインしてくださったのです。
・そのデザインはどんなものでしょうか?それは他の誰とも違います。だから、他の人と比べても意味が無いのです。
・私達の人生を導かれる神様を信じましょう。

【陶器師である神様と陶器である私達】
イザヤ書 45:9-13 JA1955"陶器が陶器師と争うように、おのれを造った者と争う者はわざわいだ。粘土は陶器師にむかって『あなたは何を造るか』と言い、あるいは『あなたの造った物には手がない』と言うだろうか。 父にむかって『あなたは、なぜ子をもうけるのか』と言い、あるいは女にむかって『あなたは、なぜ産みの苦しみをするのか』と言う者はわざわいだ」。 イスラエルの聖者、イスラエルを造られた主はこう言われる、「あなたがたは、わが子らについてわたしに問い、またわが手のわざについてわたしに命ずるのか。 わたしは地を造って、その上に人を創造した。わたしは手をもって天をのべ、その万軍を指揮した。 わたしは義をもってクロスを起した。わたしは彼のすべての道をまっすぐにしよう。彼はわが町を建て、わが捕囚を価のためでなく、また報いのためでもなく解き放つ」と万軍の主は言われる。"
http://bible.us/81/isa.45.10.ja1955
・神様は、私達を創造された陶器師ですから、私達を御心のままに形づくって下さいます。
・私達は「なぜですか?」と文句をつけることはできません。神様は「これは最高の作品だ」と言われて、私達はこの世に生まれてきました。「もう少しここが、あそこが・・・」と私達は自分にはないものを願いますが、神様は「それでいいんだよ。最高だよ!」と誉めて下さいます。
・そのことを信じましょう。

【互いに愛し合いましょう】
ペテロの第一の手紙 4:8-10 JA1955"何よりもまず、互の愛を熱く保ちなさい。愛は多くの罪をおおうものである。 不平を言わずに、互にもてなし合いなさい。 あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。"
http://bible.us/81/1pe.4.10.ja1955
・互いの愛を熱く保つ・・・というのは、とても困難な時があります。なぜなら、私達は誰もが罪人であり、ある時には愛する事が出来ても、次の瞬間「嫌い!」と思ってしまうからです。
・嫌いになるのは、自分自身の中にある罪と、相手の罪がぶつかるからかもしれません。
・そして、私達は一度嫌いになった人を愛することに抵抗を覚えます。
・ペテロは、愛は多くの罪をおおうものであると言っています。そして、次の瞬間「賜物」について触れています。それを互いのために役立てるべきだと。
・賜物が違うということは、相手が理解しにくいということです。でも、その違いがお互いを助けるのだとすれば、「なんで違うの?」と攻めるのではなく、「私にないものを持ってくれていて、ありがとう」と認め合うことはできないでしょうか?
・今日、お互いに愛することにチャレンジしましょう。

東京メトロチャーチ 林 幸司

2013年5月2日木曜日

正しいことを求める生き方


メッセージ:主管牧師 林 幸司 メッセージ音声はこちらをクリック
【本日のメッセージ】
聖書箇所: I列王記3章、マタイ6:31〜34
1列王記 3:9 善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」3:10 この願い事は主の御心にかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。

I.ソロモンは 自分自身 と置かれた状況を知っていた
1列王記 3:7 わが神、【主】よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。3:8 そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中におります。しかも、彼らはあまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど、おびただしい民です。
ダビデから王位を継いだソロモンは、自分自身と、置かれた状況を理解していた。
「自分には出来る」とは思わないで、神様に頼ることが大切
時に神様は、私達の能力以上のことをチャレンジされる
チャレンジがあるということは、乗り越えられるという前提があるから


II.正しいことを求めれば すべての必要 が与えられる

1列王記 3:11 神は彼に仰せられた。「あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので3:12 今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。3:13 そのうえ、あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者はひとりもないであろう。3:14 また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしのおきてと命令を守って、わたしの道を歩むなら、あなたの日を長くしよう。」か。」
長寿、富、敵のいのちを求めるのは、一般的な価値観
目の前の一時的な必要よりも、いつまでも続く必要を求めること
私達が求める多くのことは、「外側」のことであり、それは無くなったり盗まれたりすること
「内側」のことは誰にも奪われることはない

III. 神の国を求める という新しい領域に生きる

マタイ 6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
イエス様も、私達にそのことを命じている
今日の私達にとって、「神の国とその義を求める」とは、何を求めることだろうか?
自分自身と現状を理解し、求めるべきことを知り、大胆に神様に求めて行きましょう。

信仰による義(神様から正しいとされること)


毎日配信している、御言葉メールの中から一つの箇所を抜粋してお送りいたします。

【信仰による義】
ローマ人への手紙 3:23, 24 JA1955
"すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。"http://bible.us/81/rom.3.23.ja1955
・律法によって神様から正しい(義)と認められようとすることは、絶対に達成できません。なぜなら、人間はどこまでいっても不完全だからです。律法の下では、一度でも罪を犯せば、罪人となってしまいます。
・もう一つの方法は、「信仰による義」です。イエス・キリストが私達のために十字架にかかり、すべての罪を身代わりに負って死んでくださり、三日目によみがえって今も生きておられることを信じることによって、その人は「あなたは正しい」と神様から認められます。それが信仰による義です。
・それが「価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされる」という言葉の意味です。
・私達がイエス・キリストを信じているなら、神様から義とされているのです。だとすれば、自分自身を責めて自己憐憫に陥ることを、神様は喜ばれません。神様が私達を赦してくださいましたから、私達自身も自分自身を赦してあげるべきです。自分自身を責め立てることも、大きな罪の一つです。

今日、私達は救われ赦され、神様が共にいてくださる「義人」としての立場を確認していきましょう。
恐れのない平安をもって、胸を張って一日を過ごして参りましょう。

2013年4月16日火曜日

4/14までの礼拝メッセージをアップしました

4月から、クレストホテル立川での礼拝が始まりました。
広い会場で、多くの方々は喜んでいると思います。
メトロの最初の七年間は、このような礼拝でした。その時と違うのは、会場と広さがグレードアップしたこと、そして何より多くの方々がセットアップの奉仕をしてくださることです。
荷物も、ホテルのご厚意でホテルのバックヤードに置かせていただいています。最初の七年間とは違い、荷物は何倍にも増えていますが、メトロメンバーのおかげで速やかなセットアップと撤収が出来てきました。さらにスピードアップすることだろうと思います。

クレストホテルでの二回の礼拝のメッセージもアップできました。
どうぞお聞きください。

メッセージはこちらをクリック

2013年4月11日木曜日

3/31(イースター礼拝)までのメッセージをアップしました。

東京メトロチャーチ礼拝メッセージ
をご覧下さい。

サッチャー元英国首相の映画を観ました。


鉄の女サッチャーさんが亡くなったと知って、気になっていた映画をレンタルして観ました。予想に反して、華々しい伝記ではなく、栄光と挫折を味わった人の一生の終わりを前にした回想形式になっていました。「党を動かしたいなら、党のリーダーに、国を動かしたいなら国のリーダーになりなさい」というような言葉が印象に残りました。

2013年3月18日月曜日

3月17日(日)礼拝 失われた人を捜して救うイエス様


主日礼拝 失われた人を捜して救うイエス様
メッセージ:主管牧師 林 幸司師
【本日のメッセージ】
聖書箇所:ルカ19:110、マタイ7:7
ルカ 19:10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。
Ⅰ.イエス様は罪人の家に泊まられた(罪人)
ルカ 19:5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」(泊まらなければならない)19:6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。19:7 これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた」と言ってつぶやいた。
l  取税人・・・ローマ帝国の税金を徴集するユダヤ人。非宗教的な政治と異教徒の神々を援助するための税を支払うことにユダヤ人は反発していた。
l  取税人たちはイスラエルでは最も評判の悪い人々だった。生まれながらのユダヤ人はローマのために働くことを選ぶと、裏切り者とみなされた。
l  イエス様がザアカイの家に泊まると言われた時、人々は「最悪だ」と思ったに違いない。
l  人々とザアカイの差は、ザアカイが人々よりも「求めた」ことにある
マタイ 7:7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。マタイ 7:8 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
l  クリスチャンでもそうでない人でも、求めれば与えられる
II.ザアカイは自分から罪を告白し、行動した(自分から)
ルカ 19:8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」
l  ザアカイは、イエス様が自分の家に泊まってくださることに感激し、その愛と赦しを感じた
l  誰にも強制されずに、自分から罪の償いをすることを宣言した
l  主よ・・・ザアカイがイエス様を救い主として認めた証拠
l  財産の半分を貧しい人へ・・・通常は1/5
l  4倍にして返す・・・通常は1.2倍(強盗の場合は4倍)
III.失われた人を捜して救うイエス様(失われた人)
ルカ 19:9 イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。19:10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
l  ザアカイも「アブラハムの子」というのを聞いて、人々は驚いた
l  「失われた人」とは?・・・神様から遠く離れてしまった人
l  愛されることを求めている人
l  赦されることを求めている人
l  罪の悔い改めをする相手を求めている人・・・
l  私達もイエス様の救いの中にあることを確認し、失われた人々の所に行って、イエス様のすばらしさを伝えましょう!

2013年3月9日土曜日

近所の方々との話し合い

今回の火災に際し、私達を入れて5軒の方々が被災しました。
私達の教会が一番被害を受けましたが、被災した住民で一致して対処しようということになりました。
昨日は、二回目の話し合いがなされました。
そのお一人が「メトロさんで集まりを開いてもいいですか?」と言ってくださり、私達は喜んで教会の場所を提供しています。話し合いは二度目ですが、その中の一人が昨日こう言われました


「ここに来ることで、私はどんなに慰められているかわかりません。保険会社と交渉している時には、非常な孤独を感じますが、ここに来ると安心します。多くの情報も教えていただける。本当に感謝しています。」

私も、全く同感です。この交渉というのは、本当にストレスのかかる作業です。

私はこのお言葉に心から感動し、この火災が起こることを許された神様の御心を垣間見た気がしました。

いろいろなタフな交渉をしているのですが、とにかく最後に残るのは隣家のご家族と周辺住民なので、そこに軋轢が生じないということをゴールにしていこうということで、みんなで一致することができました。

2013年3月6日水曜日

About Fire


On 16th of Feb, neighbor's house was fire, Tokyo Metro Church was damaged by the fire. Building wall was burned and windows flame and sign was melt by fire. 3rd floor damaged by water which fire dep. used much water. It was like river in 3rd floor. MAPS worker Eric lived there but he could not continue to stay any more. Now he is staying one of the church. We are continue to negotiate with insurance company, however the insurance company (A) which the construction company side said they doesn't have responsibility and they will not pay any money for us. Still we will negotiate with them however insurance company (B) which Tokyo Metro Church side start to investigation and how much they can cover from tomorrow. Thank you for your prayer from all of the world. Please continue to pray for us. God bless you.

火災の対処のためにお祈りくださりありがとうございます


【火災について】
2/16  12:30東京メトロチャーチの隣家(南側)の解体作業場から出火、メトロ会堂が大きな被害を受けました。
全焼はまぬがれたものの、延焼により外壁は焼け焦げ、南側の全窓と窓枠が破損、看板は溶けてしまいました。
三階はかなりの水浸し、礼拝堂の二階にも漏水しました。また、浸水のためエアコンは機能しなくなりました。

三階に住んでいた短期宣教師が、居住不能になり、現在ステューデントセンター(都内)に宿泊中です。

二階部分の会堂と一階部分のフェローシップルームは何とか使用可能ですが、ストーブを持ち込んで礼拝や他の活動を行っています。会堂には焦げ臭い臭いが残っています。

【補償問題について】
通常の火災ではなく、解体作業中の出火ということで、当初賠償されると聞いておりましたが、保険会社の査定は賠償しなければならない「重過失」は認められないという結論で、結局東京メトロチャーチがかかっていた火災保険の適用に向けて交渉を進めています。
ただし、補償されるのは建物に限るとのことで、備品類については補償されません。









多くの方々から、お見舞いのお言葉とお祈りをいただき、感謝いたします。
東京メトロチャーチのメンバーは、みんなポジティブにこのことを受け止めています。

なぜなら、この日の次の日曜日は、次の会堂のために祈り会をする予定だったためです。
予定通り祈り会が行われました。「神様は、この火事を通して、私達にすばらしいことをしてくださる」との期待感と信仰が与えられています。

多くの方々の祈りのバックアップによって、私達が支えられていることを強く感じています。
引き続きお祈りをいただければ感謝です。

2013年2月22日金曜日

2月17日(日)礼拝 奇跡の始まり


2月17日(日)のメッセージです。お聞きになりたい方はこちらへ
メッセージ:主管牧師 林 幸司師

【本日のメッセージ】
聖書箇所:詩篇66:12、ダニエル3:17、Ⅰコリント3:13、エペソ6:16
詩篇 66:12 あなたは人々に、私たちの頭の上を乗り越えさせられました。私たちは、火の中を通り、水の中を通りました。しかし、あなたは豊かな所へ私たちを連れ出されました。

Ⅰ.火事の中で起こった数々の 奇跡 
ダニエル3:17 もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。
主は、昨日の火事の中で不思議なことをされた
けが人や死者が一人もいなかった隣には寝たきりのおばあちゃんがいたが、解体作業中だったため誰もいなかった。エリックも無事だった
教会は外部が延焼したが、内部に火が入ることは無かった
強風の中、古い木造住宅の密集地で、教会が盾となって延焼を防いだ
消防車33台が駆けつけ、見事な消火活動を行った
メトロメンバーも、すぐに駆けつけ、一致団結して迅速に対応した
もともと火災保険の担当者と会うはずになっていたので、すぐに対応してもらった
今日からプロジェクト2014のための祈り会を開催する前日だった
増田先生がすぐに来て下さり、被害状況確認と同時に、新しい会堂に向けてのアドバイスをいただいた

III.神様は 火 によってそれが本物かどうかを試される
Ⅰコリント3:13 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。3:14 もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。
キリストを土台として、主が私達の人生に建て上げられるすべてのものは、やがて来る終わりの日に、火を通ることによって試される
今回の火事は文字通り、火を通して私達の会堂が試された
耐火試験は、本当の火事を想定して行われる
30年前に建てられた会堂が、本当の火事を通っても守られただけではなく、周囲を守る盾となった
それは、私達が自分自身の人生を守るためだけではなく、地域を守るために召されていることを示していないだろうか?
エペソ6:16 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。

III.神様は私達を豊かな所に導かれる前に、 火の中水の中 
    通らせる
一見、「ひどい目にあった」ということを通して、神様は豊かな所へ私達を導いて下さる
 ・この火事を、否定的に捉えるのではなく、神様の奇跡の始まりとして期待しよう!

2月10日(日)礼拝 愛するために苦々しい思いと戦う


2月10日のメッセージをアップしました。こちらへ

メッセージ:主管牧師 林 幸司師 

【本日のメッセージ】

聖書箇所:マタイ26章、エペソ6:16、Ⅰコリント13章、など
マタイ26:39 それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」

Ⅰ.なぜ 愛さなければ ならないのか?
ヨハネ12:27 今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。
イエス様は、十字架を前にして、ゲッセマネの園で苦しみの祈りをされた
それは、荒野の誘惑より大きな戦いだったに違いない
人間というものを見て、彼らのために自分自身の命をささげるほど愛さなければならないのか?という葛藤があったかもしれない。
「このためにこそ来たのです」と人を愛するという目的があることを宣言された
もし、イエス様が愛のために戦われたなら、イエス様に従う私達もそうすべきではないか?

II.愛することは自分の内側にある 苦々しい思い と戦うこと
エペソ6:16 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。
私達の内側に、時々(いつも?)思い出される人、瞬間、事件、などがあるだろうか?
「あんなこと、言わなければ(しなければ)良かった・・・」
「こんな選択をしなければ良かった・・・」
「なぜ、こんな家庭に生まれてきてしまったのだろう?」
そう思って、心が苦々しさや、憎しみ、嘆き、悲しみ、後悔の念に満たされるかもしれない
それは、私達の内側に来る ギルティー・フラッシュバック と言える。
それは、「悪魔の放つ火矢」であるから、それが来た瞬間に対抗してその人を憎むかわりに祝福するように祈ろう!

III.愛するための戦いに勝利すると どんな良いことがあるか 
私達自身が、罪責感や後悔から解放されて、自由で平安な毎日を送ることが出来るようになる
私達の内側におられる聖霊様が、私達を通して人々を愛する力と知恵、勇気と大胆さを増し加えてくださる
 ・それによって、私達の教会、ケアセル、家族、学校、会社、コミュニティーが祝福され変革される

2013年2月21日木曜日

隣家からの出火による延焼について

既にfacebookでもお知らせしておりますが、2月16日(土)の午後12時半頃に、解体作業中の南側隣家から出火し、火災によって東京メトロチャーチは延焼を受けました。

南側の壁が焼けただれ、すべての窓は消火作業によって破損、また窓枠は熱によってゆがみました。
3Fからの消火活動により、エリック短期宣教師の部屋は水浸しとなり、一部二階にも漏水いたしました。

さいわい、エリック師をはじめ、どなたにもけがはありませんでした。

主が奇跡的に守って下さったとしか言いようがありません。

・出火原因は、解体作業中のエンジンカッターの火花であると確定したようです。
・現在、補償問題について交渉中です。
・現時点で、復旧への見積もりは一千万円を超えそうです。

なお、礼拝、日曜学校(MAKS)などの働きは時間通り行っています。(3Fが使用不能のため、2Fで日曜学校を行っています。)
どうぞ、復旧が速やかに行われるように、お祈りください。










2013年1月31日木曜日

新しいディスプレイ2

無事新しい、通年のディスプレイなりました。すてきです。ぜひ、ご覧になってください。





新しいディスプレイになります。

今日は、S. E. O. Inc. の瀬尾先生が来てくださりメトロチャーチのディスプレイを通年のものにしていだだきます。
これから教会に向かっているところです。

2013年1月28日月曜日

メンズランチョンをしました

1月27日(日)の午後は、メトロで初めての「メンズランチョン」を開催しました。
約20名の方々の参加があり、楽しい時でした。
みんなで賛美した後、食事をし、ドロシーさんとあやちゃん企画の賛美の歌詞当てクイズ、そして不思議なドリフターズ系ストレッチ体操・・・笑えました。
多くの時間と労力をもって、準備してくださった方々に心から感謝です。
また、こんな時を継続して持てたら・・・と思います。

2013年1月19日土曜日

14ヶ月聖書通読進行中

 昨年11月から始めた十四ヶ月聖書通読は、申命記とガラテヤ書を進行中です。
聖書に親しむことによる恵みを、かみしめている毎日です。
今朝の配信から、少し抜粋します。


【キリストの恵みから離れないように】
ガラテヤ人への手紙 1:6, 7 "あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議でならない。 それは福音というべきものではなく、ただ、ある種の人々があなたがたをかき乱し、キリストの福音を曲げようとしているだけのことである。"YouVersion.com から見る  http://bible.us/81/gal.1.6.ja1955

・「違った福音」とは、イエス様を信じるだけではなく、旧約聖書の律法に伴うすべての教えを守るように、そのために割礼を受けなければ救われないという教えです。つまり、「ユダヤ人にならないと救われない」ということです。
・パウロは、それに対して猛然と反対しました。イエス様を信じれば救われるという真理を、私達も大切にしたいと思います。私達には割礼を受けなければならないという考えはありませんが、代わりに「奉仕をしなければ、礼拝に出席しなければ、洗礼を受けなければ、良い行いをしなければ・・・」救われないという誤解があります。それは、救われた後、神様が願っておられるライフスタイルという点で、「救い」とは別に考えるべきです。私達は、救いの確信をまずしっかりと持つようにしたいと思います。

2013年1月18日金曜日

娘が渡米しました

アメリカ、テキサス州ダラスにあるクライスト・フォー・ザ・ネーションズから一ヶ月間帰国していた娘が渡米しました。

今回は、成人式を終えての帰国でした。
丁度問題にてり、欠航が続出しているボーイング787でなくて良かったなあと思っています。少し長旅だったようですが、無事到着しました。

学びは、あと半分。アメリカの地での寮生活は大変だと思いますが、日々神様の臨在の中で学べる特権はすばらしいですね。

私も、もう一度一ヶ月くらい休みをかねて、学びとリフレッシュができればなあーと思ったりします。


帰国中、みなさんに良くしていただいたことを感謝します。

2013年1月3日木曜日

あけましておめでとうございます

2013年 あけましておめでとうございます。
東京メトロチャーチの元旦礼拝では、ヨシュア記1章から話しました。
創世記から通読してきた中で、改めてこの箇所を読んでみると、40年間荒野を旅したイスラエル人の次の世代の人々の信仰やメンタリティーの違いを強く感じます。
「強くまた雄々しくあれ」というのは、私にとってのテーマ聖句ですが、また新しい目で見ることが出来ました。
 人々が「モーセに従ったように、あなたに従います」とヨシュアに断言できたのは、荒野で産まれて、最初から神様の臨在と奇跡と共に生きてきた彼らの生活習慣とも言えるものからきていると言えるのではないでしょうか。
 そんな、ナチュラルな信仰で生きることができればいいなあ・・・と初代クリスチャンである私は思うのです。
 家内や娘たちは、三代目四代目なので、「お父さんはなんでこんなところで、葛藤しているの?」と言われることがあります。まさに、奴隷であったことが身についていて、荒野を旅してきた1st ジェネレーションの姿なのかもしれません。
 
 礼拝で、「次のヨシュア世代にバトンを渡していきましょう!」と言いましたら、お餅つきを「ヨシュア!ヨシュア!」というかけ声でやっていました。(笑)
どの世代も、神様を信じて、強くまた雄々しくあることができる一年となりますように。