2010年9月1日水曜日

回復の喜び#90レッスン18 恵み1-6

【本日の聖書通読箇所】

一年コース ◆ 詩篇119:89-176 ◆ Ⅰコリント8
三年コース IIサムエル3、黙示録1

【デイリーブレッド】
http://rbcjp.info/blog/2010/08/26/

みなさんおはようございます
昨日は、お休みをいただきました。
無事に、修養会から帰ってきました。
修養会の中で、ある先生とお話をしていて、改めて気付かされたことがありました。
世界の中で、日本という国には、「罪と赦し」の概念が薄いということです。
その結果、政治や外交をはじめ、いろいろな分野で「謝罪」というよりは、「みそぎをすませる」というように、時間が経過すればみんな忘れるだろう・・・という文化があるような気がします。
イエス様の十字架は、「本当に私には罪がある」という自覚がなければ理解出来ない世界です。
そのような「真の悔改め」へは、神様の霊である聖霊が、私達を導いてくださいます。
罪・・・つまり自分の本質と向き合い、イエス様によって赦された事を受け取るとき、もやもやとしたはっきりしないことが、完全に処理されていくのだと思います。
改めて、イエス様の十字架と自分自身を考えてみる一日となりますように。

【回復の喜びレッスン18 恵み1−6】
●キリストが代価を支払ってくださった(Christ paid the price)
キリストは私たちを愛するあまり、私たちの罪のために十字架にかかって死んでくださいました。永遠をキリストと共に過ごすことができるよう、彼は代価を払い、ご自身を犠牲にされたのです。ですから私たちも、自分のプライドや自己中心を捨てる必要があります。愛をもって真実を語り、償いと赦しにおける自分の責任を果たしていく必要があるのです。
「私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」ガラテヤ2:21 新改訳
「キリストのうちにある私たちは、キリストが流された血潮によって自由にされ、罪の赦しを得ています。何という神の恵みでしょう。」エペソ1:7 NCV
(ジョン・ベーカー著「回復の喜び」より抜粋)