2010年9月1日水曜日

回復の喜び#83レッスン17 赦し1-4

みなさんおはようございます。

昨日の水曜礼拝では、「とりなしの祈り」についてお話しました。
使徒の働きでは、ペテロがヘロデ王に逮捕され、投獄されたとき、教会では熱心な祈りが捧げられていました。
そのとき、天使がペテロを牢獄から救い出し、教会(セル)で祈っている人々の所に訪問しました。
しかし、彼らはなかなか信じようとしなかったのです。

不思議なもので、私達は祈っているのに、いざその通りになるとその奇蹟を信じなかったりするのです。
神様は、私達の期待以上に、祈りに答えてくださるお方です。特に、誰かのために祈ること(とりなしの祈り)はそうです。

みなさんの家族、周囲の人々の祝福を祈るということは、この世界では本当に特別なことです。
今日も、主の豊かな祝福がみなさんにありますように。

一年コース ◆ 詩篇103-104  ◆ Ⅰコリント2
三年コース Iサムエル27、Iヨハネ2

【デイリーブレッド】

http://rbcjp.info/blog/2010/08/19/

【回復の喜び レッスン17 赦し1−4】
注意:もしもあなたが、性的虐待、身体的虐待、幼少時代の感情的虐待を受け、あるいは無視され続けてきたという傷を負っておられる方であるならば、あなたの受けた痛みを思うと言うべき言葉が見つかりません。本当に心が痛みます。しかし、その人を赦すことができるようになるまでは、加害者からの解放や平安を見出すことはできないのです。どうか覚えておいてください。加害者を赦すということは、あなたが受けた損害を大目にみるということでは全くありません。けれども、赦すことによって、加害者があなたにもたらしている脅威から解放されることができるのです。あなたのために原則6(ステップ8と9)を以下のように書き直してみました。

STEP8
自分を傷つけた人たちの名前を書き出し、自分自身を赦すと同時に、加害者をも赦すことができるように神の助けを求めました。自分自身も人を傷つけたことを認め、進んで償いをしたいと思うようになりました。
STEP9
赦しとは、必ずしも相手に直接会って行うべきものであるとは限らず、根本的には心の態度であることを踏まえ、自分自身と加害者に赦しを差し出しました。相手や他人を傷つける場合を除いて、自分が傷つけた人々に直接償いをし、赦しを求めました。

(ジョン・ベーカー著「回復の喜び」より抜粋)